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「キミが上田クン、かな?」

Time is On My Side,2015⇔2020 第2話
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「キミが上田クン、かな?」

<前回までのあらすじ>
共同創業者の黒野に突然去られた上田。なにが理由か、まったく思い当たらない。会社の今後も不安になってきた。頼りにしている先輩経営者・後藤に相談しようと考えた。後藤は行きつけのキャバクラに上田を連れ出した。

※この小説はフィクションであり、実在の人物・団体などとは一切関係ありません。

scene5 ピンドン

「オープンラストで指名なんて、ほんと、ありがと~」。

「麗華の誕生日だからな、しょうがねぇよな」

客席フロアのセンター奥のソファに後藤が腰を沈めると麗華はすぐにしなだれかかり、後藤を見詰めながら甘ったるい声で礼を言った。黒服たちと同じように、上田の存在などまったく眼中にない。

上田は後藤の真向かいのスツールに腰かけると、自分の隣に座った派手なウェーブをかけたハーフアップのキャバ嬢に小声でたずねた。

「オープンラストってなんですか?」。
「開店から閉店まで、ずっと指名しっ放し、ということよ」

麗華に比べたら地味な、しかし街中で見たら二度見するような、体にピッタリしたマイクロミニのワンピースを着たキャバ嬢が、「なにも知らないのね」と言わんばかりの見下したような笑みを浮かべて答えた。

「姫、誕生日、おめでとう」

後藤は、ジャケットのポケットからミント色の包み紙とシルバーのリボンでラッピングされた小さな箱を取り出し、麗華にポンッと手渡した。

「え! ホントにいいの!?」

そう言いながら麗華はさっそく包み紙を開き、目を輝かせた。

「欲しかった新作のピアス! どう、似合う?」

麗華はゴールドのピアスを耳にあて、後藤に見せる。

「質屋に売ったり、ネットで転売したりするんじゃねぇぞ」
「やな感じ~」

麗華は頬をふくらませ、怒ったような表情を見せ、後藤にからめていた腕をほどき、少し距離を置いた。

「後藤様、いかがなさいますか?」
「麗華のお誕生日だし、ドンペリじゃないと許さない~」

ロンゲの黒服がおしぼりやグラス、突き出しがわりのナッツが盛られたセットを運んできたタイミングで、ずっと側で控えていたツーブロックが後藤にオーダーを促すと、麗華は後藤を非難するように口をとがらせて混ぜ返した。

「アホか」

後藤は麗華をたしなめると、ツーブロックに向かって

「ピンドン、持ってきてくれ」
「やっぱりかっこいい! ゴーゴーさん、ありがと~!」

さっきまで頬をふくらませていた麗華は、満面の笑みで後藤の腕に抱きついた。

そのとき、上田はチノパンの後ろポケットに突っ込んでいたスマホの振動を腰に感じた。引っ張り出して画面をのぞきこむ。黒野のDMだった。「なぜだ」「考え直してくれないか」「お前がいないと困る」という、上田が今日の午前中に必死にすがり、何度も送ったメッセージへの返信。そこには、こんな短いフレーズがあった。

「いい加減、気づけよ」

何に気づけと言うんだ?―。画面に表示された黒野のメッセージが上田の胸の奥に沈み込んでいった。

  * * *

年下のキャバ嬢がタメ口で話すどうでもいい世間話、ゲームの敗者をはやしたてる一気のコール、歓声と嬌声―。上田は左手首にはめた安物の腕時計を眺めた。日付が変わる時間になろうとしていた。

上田は酒はあまり強くなかったが、ピンク色のシャンパンはフレッシュでおいしいと感じた。そのあとに出された後藤のキープボトルは、水で薄めても喉にひっかかるいがらっぽさがあった。

ルールがよくわからない上田はゲームに参加しなかった。そのおかげで一気させられることもなく、自分のペースで飲むことができた。「いつ、後藤さんに黒野のことを切り出そうか」。タイミングをはかっていた。

「オレの可愛い後輩だから」。

いい感じで酔いが回ってきた後藤は、キャバ嬢たちに上田のことをそう紹介した。

「ゴーゴーさんって、ふだんはどんな人なの?」

ほんとうは大して関心をもっているわけではない、キャバ嬢たちのお約束の質問。

「昔から憧れの存在で、経営者としてもすごい」というようなことを上田は話した。自分も起業したが後藤さんみたいになりたいと思っている、自分が起業したときから助けてもらい、仕事を回してくれている、いろんな相談に親身にのってくれる。そんな上田の話を後藤はニヤニヤしながら聞いていた。

scene6 ピンハネ

「それで、ゴーゴーさんって、どのくらいピンハネしてるの?」

そう聞くのが当然の流れであるかのような自然な口調で上田の隣のキャバ嬢がたずねた。

上田は不意打ちを食らったように感じた。その質問が自分に向けられたものなのか、後藤に聞いたのかわからず、上田は後藤の様子をうかがった。

後藤にしなだれかかっていた麗華がにらみつける。質問したキャバ嬢はハッとした表情を浮かべ、すぐに口をつぐんだ。盛り上がっていた場がエアポケットに陥ったように、シーンとした。

後藤は聞こえていなかったのか、相変わらずニヤニヤしながらツーブロックを呼びつけた。

「そろそろ、アレ、持ってきてくれ」

少しして麗華の年の数だけ赤いイチゴが飾られているデコレーションケーキが席に運び入れられた。それを合図に、場がふたたび弾けた。

閉店近くになり、ほかのキャバ嬢たちが手洗いに立っていたとき、麗華は違うテーブルに呼ばれた。上田は後藤とふたりきりになったその瞬間、思い切って切り出した。

「ゴーゴーさん、じつは黒野が辞めるって言いだして。どうしたらいいですか」

すっかり出来上がり、上機嫌の表情だった後藤の眉がぴくっと動いた。

「あー、お前んところのあの変わりモンだな。カネでモメたか?」

「いや、理由がわかんないんですよ」

「前にオレんところに電話してきて、『ムチャな仕事を回すな』とか言ってきたヤツだよな」

「…あの時はすいません。でも、自分とゴーゴーさんが働いていた前の会社が未払い残業代とかで、この間、ヤラれちゃったじゃないですか。ウチもめちゃくちゃ残業は多いんですけど、そんなの払える状況じゃないし。黒野はそんなことを気にしてたらしくて」

「確かにヤラれちゃったよなぁ。アホな会社だよなぁ。オレがいたときから、アホなヤツばっかりだったけどなぁ」

「誰がヤラれたの?」

テーブルに戻ってきた麗華が話に割り込んできた。

「麗華のことを話してたんだよ」

「大切なお誕生日にシモネタ言わないで。ゴーゴーさん、ヘンタイ~」

「よぅし、じゃあ最後にピンドン…。いや、ヘンタイだからモエピンだ」

後藤が気勢を上げる。そして上田に顔を寄せて、こうつぶやいた。

「とにかく気にするな。辞めるやつは辞める。誰にも止められない。仕事なんかいくらでも回してやる。一緒に夢をつかもうぜ」。

最後の最後に後藤の掛け声で一気をさせられた上田は、後藤と別れると会社があるマンションの別フロアの自分の部屋まで、千鳥足になりながらどうにかたどりついた。着の身着のままでベッドに倒れ込み、同じ言葉を何回もつぶやいた。

…一緒に夢をつかもうぜ。…夢をつかもう。

大学最後の夏合宿で黒野と一緒に露天風呂から見上げた星空が頭の中に広がった。湯に浸かりながら、黒野と自分はピンクのシャンパンを飲み、夢を語り合っている。星々が色とりどりの風船となって空から降ってきた。そのひとつをつかんだ黒野が、今度は上昇していく。「なにも知らない」と見下すような笑みをオレに向けながら、どこまでも上昇しいく。その姿がどんどん遠ざかり、米粒になり、点になり、夜空に溶け込んで、黒野は消えた。すべてが暗黒になった。

  * * *

なにかが頬をくすぐっている。どのくらい眠っただろうか。上田はザーッという耳鳴りを不快に感じながら、重い瞼をゆっくり上げていく。目の前を小さなカニがちょこちょこと横切っていく。なんだ、頬をくすぐっていたのは、このカニだったのか…。

カニ? なんで? あわてて飛び起きる。目の前には、どこまでも青い水面が広がっていた。後ろを振りかえると幾本かの松の木立の向こうの遠くに、低層の建物がポツンと見えた。足元を見る。サラサラした砂のうえに立っていた。海だった。耳鳴りと思っていたのは穏やかな波の音。潮の香りが鼻腔のなか一杯に広がる。風に巻き上げられた砂粒が目に入り、痛みをおぼえた。

夢の続きにしては、あらゆるものがリアルすぎる。上田は入った砂粒をとろうとして目をしばたたかせながら、夕べの記憶を高速で巻き戻した。マンションの自分の部屋にたどりついてベッドに倒れ込んだことは、覚えている。その後は? 覚えていない。その前は?

scene7 拉致

そういえば、キャバ嬢たちに見送られながら店を出る時、後藤は上田の隣に座っていたキャバ嬢を指さし、整列させた黒服たちに向かって声を殺してこんなことをささやいていた。

「オレはいいんだけどさぁ、あんなバカなこと言ってくれちゃったらさ、コイツが、上田が怒るだろ」。

そのキャバ嬢が不用意に発言した「ピンハネ云々」のことを後藤は詰っていた。ツーブロックもチャラ男もスキンヘッドも、後藤に対して平身低頭し、苦虫を噛みつぶしたような顔で上田に頭を下げ、詫びを入れた。

後藤に一気させられフラフラになっていた上田は「いやいやいや」とロレツの回らない声をあげながら顔の前で手を大きく振り、その反動でよろめいて腰砕けになった。崩れ落ちるのを防ぐため、目の前にあった丸い縁石に咄嗟に手をつき踏みとどまった。手をつくとき、“ピシャッ”という音がした。

縁石だと思っていたのは、上田に向かって90度のお辞儀をしていたスキンヘッドのつるつる頭だった。屈辱で赤く充血した目で下から見上げるスキンヘッドの視線と、びっくりして大きく見開かれた上田の目がぶつかった…。

逆恨み。きっとそうだ。お得意さんの後藤からのクレーム。しかし、上田をないものにしてしまえば、そのクレームもなかったものになる。とりわけスキンヘッドは憎悪の炎をたぎらせているに違いなかった。

「さらわれたんだ」

アイツらが眠っている自分を拉致して、この海に連れてきた。上田はそう直感した。暖かな海風を受けながら、上田はぞっとした。きっと、この海に沈められる。抵抗しても、絶対にかないっこない。上田は、はじかれるように全力で走りだした。

松の疎林の向こうに見えた建物を目指して5分ほど走っただろうか。遠くからは低層マンションのように見えたが、どうやらオフィスビルのようだった。腕時計を見る。9時少し前。すでに人間が活動を始めている時間。ここまで来れば大丈夫…。

正面エントランスまで来るとようやく走るのを止め、膝に手をついて、肩で息をした。倒れ込むようにして階段に腰掛け、したたる額の汗をTシャツの裾でぬぐった。突然、左の背後から声をかけられ、ビクッとした。

「キミが上田クン、かな?」

声の主は、レーサーパンツをはき、サイクルジャージ姿でサイクルヘルメットをかぶり、ロードバイクを引きながら笑顔を浮かべていた。

『誰だ、コイツ?』

黒服たちの仲間ではないと直感しつつ、上田は息を切らせながら答えた。

「ハァ、ハァ…。はい、上田ですけど。ハァ、ハァ」

はい、上田ですけど、あなたは誰ですか? そう聞こうとして、息が切れて後半の言葉は呑み込むしかなかった。

「あぁ、やっぱりね。そんなにあわてて走って来なくても。ウチの会社には定時っていう概念はないから。いつ出社してきてもいいし、好きな時間に退社していいんだよ。まぁ、そこに座ってないで、中に入ろうか、上田クン」

自分と同じくらいの年齢に見えるその華奢な若い男は、IDカードのようなものをセンサーにかざして自動ドアを開き、上田をビルのなかに誘い入れながら、ヘルメットを脱いで簡単な自己紹介をした。

「ボクの名前は相座健人。誰かが『アイザだから、アイザック・ニュートンのニュートンでいいんじゃない』って言いだして。ボクもまだ入社して1週間くらいで、まだ社内には定着していないニックネームだけど。よろしく」

そう言ってニュートンはロードバイク用のグローブをはめている右手を差し出し、上田と握手をした。

自動ドアを入ると、そこはもうオフィスフロアで、数人の人が出社していた。白を基調としたオフォスは床から天井まで全面ガラス張り。朝陽が燦燦と降り注ぎ、まぶしいくらいだった。

「おはよう」

入り口から10メートルほど離れた海をのぞむ大きな窓を背にした社員らしき男から声をかけられた。逆光で上田の位置からは男の表情は見えなかったが、ニュートンと同じようなラフな軽装だった。

「あ、おはようございます。今朝はシリコンバレーとネットMTGでしたよね」

「うん、敵はクロノスだ」

社員らしき男は数回首を左右に振りながら踵を返してオフィスの奥にある階段に向かって歩きだし、トントンと階段を昇って行った。

ニュートンはロードバイクをオフィスのなかに持ち込み、自動ドアを入ったすぐ左手横の広めのスペースにとめた。すでに2台のロードバイクが置かれていて、サーフボードも何枚かたてかけられていた。

scene8 TOMS

「上田クンのデスクはボクの隣で、ホラ、あそこのオリーブの鉢植えのところ。ちょっとシャワーを浴びてくるから、デスクで待っていて。それにしてもすごい汗だよね。上田クンにもシャワーを浴びてほしいところだけど、マイバスタオルがないと使っちゃいけないルールなんだ。あそこにあるウォーターサーバーは自由に使っていいからね」

ロードバイク用のグローブを脱ぎながらニュートンはそう言い残すと、オフィス内の自転車置き場とは反対の右手の廊下の向こうへ歩いて行った。

オフィスビル、ロードバイク、シリコンバレー、サーフボード、自分のデスク、それにシャワー…。脈絡のないモノ・コトの連続で、上田はポカンとするしかなかった。

ウォーターサーバーの冷たい水をたっぷり喉に流し込んでから、ニュートンに指示されたデスクに座った。席と席の間が広々とし、決まった方向ではなく、それぞれ好き勝手な向きにデスクが配置されている。そんな様子を見ながら、上田は疑問を整理した。

「ここはどこで、なんの会社なのか。なぜ初対面なのにニュートンは自分の名前を知っているのか」―

10分ほどしてニュートンが戻ってきた。紺の半ズボンと大きな胸ポケットがついたオレンジ色のポロシャツに着替えていた。そして上田の隣に座るやいなや、説明を始めた。

「上田クンの仕事は、うちの会社がつくっている新しいタイムマネジメントインフラの開発プロジェクト、“TOMS”というコード名なんだけど、そこにジョインしてもらうこと。プロジェクトチームがあるのは湘南本社オフィス、つまりここなんだ。SEベンチャーからタイムマネジメントのインフラを開発する企業への業態転換をかけたプロジェクトなので頑張って。上場も近いしね」

なめらかな、マシンガンのようなニュートンの早口が心地よく耳に響く。

「ボクが初対面の上田クンの名前と顔を知っているのは、夕べ、新しいプロジェクトメンバーとしてキミの顔写真とプロフィールが、ボクの『AKASHI』に送られてきたから。ボクはこの会社で人事をやっていて、当面、上田クンをサポートするのがミッションのひとつってわけ。わかった?」

上田の疑問をすべて見透かしていたようにスラスラと説明するニュートン。つじつまは合っている。ただひとつ、まったく身に覚えがないことを除いては。上田はあわてて、こんな質問をした。

「なんでボクが、そのプロジェクトメンバーにくわわって、この会社で働くことになってるんですか?」

「さぁ、そこまではわからないなぁ。キミが望んでいたんじゃないの? とにかく今朝、会社の玄関にキミはいたんだから」

ニュートンは少し首を傾げながら答えた。

「いや、そういうことじゃなくて、なぜ自分はここにいるんですか?」

上田は聞きたいことと回答が噛み合わないことをもどかしく感じた。だが、自分のベッドで寝て起きたら海で、どうやらこの会社で働くことになっているという、まったくもって理解不能な状況をうまく説明できる言葉が出てこない。

「まぁ、キミの実力を会社が評価しているのは間違いないので、それがTOMSのメンバーにジョインしてもらうことになった最大の理由なんじゃないかな」

ニュートンはなだめるような口調で答えた。

「あぁ、はい…」

理解できるが納得できない解説だった。でも“実力を評価した”という言葉がうれしかった。それに、「そんなの知らない」といまオフィスを飛び出すと、あのスキンヘッドの黒服が出てきそうな気もした。そこで上田は『いったん様子を見よう』と決めた。

「じゃあ、この会社のことから教えるね。まず、PCを開いて、タイムカードに打刻しようか」

PCを開いてタイムカードに打刻!? タイムカードと言えばレコーダーにカードを突っ込む古臭い装置しか知らなかった上田には意味がわからなかったが、言われるままPCを開いた。

「そのまま2秒くらいじっとして。内蔵カメラが上田クンの網膜をセンシングするから。うん、いま『読み取りました』というアナウンスがPCから流れたよね。これで打刻は終了。さぁ、仕事を始めよう」

――つづく――

連載小説「ブルーベンチャー」

第1話「会社、辞めるわ」
第3話「TOMSプロジェクト」
第4話「人間って、どこからきてどこに行くんだろうね」
最終話「未来について、話をしよう」

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