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新・起業家群像 高橋 佳伸

“コンクリートジャングル”に次々とBBQ場を創る男の突き抜けた軌跡

株式会社デジサーフ 代表取締役 高橋 佳伸(たかはし よしのぶ)

INOUZTimes編集部
新・起業家群像 高橋 佳伸

古くは日本における海水浴発祥の地、最近は子育て世代の移住ブームが起きている湘南エリア。上質で遊び心がきいたカルチャーとライフスタイルを発信するこの地に本社に置くデジサーフ創業者の高橋氏がコンクリートジャングルの東京都心部などにBBQ場を次々と出現させている“仕掛け人”だ。デパート、ショッピングセンター、駅ビルのテラスなどを活用してBBQ場『デジキュー』を展開。「BBQは海、山、川など、都心を離れた自然のなかでするもの」という常識をくつがえした。こうした、だれも考えつかなかった突き抜けたビジネスアイデアの源泉には、だれも真似できない高橋氏の“突き抜けた半生”がある。その軌跡を追った。

<解説>

インタビューの前に~デジサーフのビジネスモデルを簡単に紹介

 デジサーフは人々に豊かな余暇の過ごし方を提案するO2O(Online to Offline)サービスを提供するITベンチャー。アウトドア領域におけるシェアリングエコノミーのパイオニアとして、会員DBの構築、多種サービス群のプラットフォーム構想など、同社独自の予約・決済システムを通じてITとアウトドアを結ぶ創造に取り組んでいる。『デジキュー』は、そうした同社の主力事業である。これはBBQ場の予約、機材レンタル、食材調達などをワンストップで提供するプラットフォームで、自社の予約システムで囲い込んだ利用者を百貨店の屋上や、郊外型大型商業施設の敷地内など都市部の遊休スペースや公園などに開設したBBQ場に誘客する仕組み。人気の秘密は“手ぶら”でBBQを楽しめる点だ。

 ビジネスモデルの側面では、設置場所である駅ビルの運営会社や公園の管理者などと利益をわけあうレベニューシェアが特徴。同じ商業施設内の食品売り場の売上高増にもつながるため、商業施設の運営企業から次々と出店要請が舞い込んでいるという。直営のほか、立地に応じてフランチャイズチェーンも展開しており、2016年には60店舗を突破する計画だ。

 『デジキュー』は都市レジャーのあり方を変えた分水嶺のひとつだろう。BBQをレジャーとして楽しむ国内人口は2,370万人以上とされる(「レジャー白書」より)が、『デジキュー』の出現以前は、都市部で手軽に利用できるBBQ場はほとんどなかったからだ。

 このほか、同社ではスノーボード大会など、インターネット上でスポーツイベントや競技会の情報を一覧でき、 エントリーもできるサイト『デジエントリー』、全国の海岸にWebカメラを設置し、リアルタイムで波の情報をサーファーに提供する会員制サービス『波通』も提供している。そう、同社は徹底して“遊び”を事業ドメインにすえているのだ。

 こうしたユニークなビジネスモデルで急成長している同社は、有力なベンチャーキャピタルなどからも注目を集める。KLabとSBIインベストメントで設立したベンチャーキャピタルのKLab Ventures、フジテレビ・産経新聞などを擁するフジ・メディア・ホールディングス傘下のスタートアップ向けファンドであるフジ・スタートアップ・ベンチャーズなどが出資している。

<高橋氏インタビュー>

「いい大学に行って、いい会社に入る」そんな常識に背を向ける

 “遊びを仕事にする”ようになったのは、『波通』の原型にあたるサービスの提供を開始した2000年からのこと。趣味の延長線上でホームページ上に海岸ライブカメラを使った波情報をアップしたところ、熱心なサーファーから人気を集めました。当時の人気お笑いコンビが紹介してくれたことで一気に注目度が高まり「湘南ニュービジネスコンテスト」で優秀賞も受賞しました。

 じつはその頃、私は一年中世界を回ってサーフィンやスノーボードをする“セミリタイア生活”を送っていました。30歳になってから8年間ほど、そんな生活を送っていました。30歳で“セミリタイア”とは普通ではないですよね(笑)。その理由を語るには、高校生の頃にまでさかのぼらなければいけません。私は奨学金をもらって高校までいきましたが、大学にいくにも奨学金を使わなければなりませんでした。このため、その時にかなり悩みましたが、なぜ大学へ行くのか?どうやって人生をメイクするか?と考えた結果、「サラリーマンにはなるまい。好きなことをやって一生に一度の人生を楽しもう」こうした想いが芽生えるのに時間はかかりませんでした。レールに乗らないとしたら、自分の人生は自分で切り拓いていくしかありませんよね。まず、高校を卒業すると、大学には行かず、生まれ故郷の静岡を離れ、ミュージシャンになるため東京を目指しました。バイトしながらライブハウスで演奏していましたが、何か自分で求めていた世界と違うと感じました。それでミュージシャンになる夢はあきらめ、コンピュータのエンジニアになる事を決めたのです。それにはまずシステム開発会社に入って働くことにしました。

 ただ、社会人経験はなにひとつないので、求人広告で「未経験者募集」と書いてある会社をかたっぱしから調べ、そのひとつだったSES会社に入社することになりました。まったくの初心者でした。だれでもいいから人手がほしかったんでしょうね(笑)。

セミリタイアの真相

 短い研修を受け、すぐに現場に投入されました。でも、性にあっていたんでしょうか、入社後1年たつとその会社ではNo.1のITエンジニアになりました。ほかの人が深夜残業して働いているのに、私はその日のタスクをさっさと終わらせて定時には退社。それも、ほかのメンバーがひとつの案件にかかりきりになっているのに、私の場合はひとりで複数の案件を抱えながら、です。

 入社して2年ごろ、起業を意識し始めました。自分はもっとも生産効率が高いエンジニアだと自負していて、事実そうだったわけですが、給料はみんな一律。ひとつの案件に四苦八苦していて納期遅れを発生させている人と複数案件をサクサク処理し、納期前に完成させている人の給料が同じだなんて、おかしいと思いませんか? 会社に直談判しても全然、ラチがあかない。それで独立を考えるようになり、まずは個人事業としてSESの仕事を始めました。

 幸いにも経営は順調で、24歳のときにデジサーフの前身の有限会社を設立しました。その頃になると自分は現場に出ることはなくなり、人生はお金ではないと思い、会社を成長させるのではなく、生活していける額以上は無理に働かず、もっぱらサーフィンをしていました(笑)。「自分が本当にやりたかったのは、社長業ではない」との想いから、30歳のときに自分がいちばん楽しいと感じていたスノーボードを徹底的にやることにし、半年間は冬山に籠る生活にしました。

山ではインストラクターをしながら大会を回り、GWに山を下りると波と雪を求めてインドネシア、オーストラリア、NZ,カナダなど一年中世界を転々と旅をして、サーフィンやスノーボードをする生活を始めたんです。

 そんな生活を送るなかで海岸をジョギング中に「いつでも波の情報がわかればいいな」という想いから、海岸ライブカメラを各地に設置してWEBサイトで公開するアイデアが生まれました。

<解説>

“満ちていく空白”という名のリタイヤ生活

 なぜ、高橋氏はリタイヤ生活を送ったのか。高橋氏が生きてきた時代を振り返りながら、その足跡の時代背景を探ってみたい。

 高橋氏がいい大学、いい会社という社会常識に疑念をもった1980年代。日本の経済力はアメリカを脅かすまでに成長し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称された。高橋氏が18歳になり、高校を卒業して上京した1985年はバブル経済の歯車を回した世界経済の転換点、プラザ合意が結ばれた年である。

 未来を担う子どもにとって過去の「旧世代」に属する親の考え方とは、その時代における社会通念と言ってよいだろう。いつの時代も旧世代が唱える「成功法則」という社会通念を踏襲する多数派、旧世代を敵に回す覚悟で社会通念を時代遅れと切り捨てて新しい生き方を模索する少数派にわかれる。そして、大抵の場合、数年後、数十年後に多数派のほとんどは成功法則なるものが虚構であることを知り、少数派は目には見えない社会通念という圧力と戦った代償として、世俗的な成功や失敗とは別のカタチで自らを傷つけながら新しい生き方を提示する。

 社会通念に従った高橋氏と同じ世代の多数派は、1990年代初頭のバブル経済の崩壊によって、いい大学、いい会社の先に「いい人生」が待っているわけではないことを痛感する。だからといって少数派が勝利したわけではない。旧世代の「成功法則」というレールが虚構であることを指摘しただけで、新しいモデルはつくれなかった。それはバブル崩壊後の「失われた10年」とも「20年」とも言われる日本の空白期が証言する。長きにわたる失われた時間は、経済活動に限ったことだけではない。社会から活力が失われ、崩壊したはずの「安定」という幻想を逆に追い求める縮み志向、懐古趣味に国全体が陥っていった。多数派も少数派も、新しい価値を生み出す挑戦というリスクをとろうとはしなかった。

 こうした沈滞期の日本から脱出するのは、ひとつの選択だろう。社会と距離を置いて徹底的に自分と向き合い、本来追求していた「楽しくあるために」とはなにかを見つめなおすためのセミリタイア。同じ空白期間だとしても、「後退」という脱色から生じる“失われていく空白”と、インクの吸い取り紙のように「次の前進」という色彩を生じさせるための“満ちていく空白”とでは、その意味や価値は大きく異なる。

 8年のリタイヤ生活に終わりを告げ、高橋氏が経営者として最前線に戻ってきたのは2005年。ライブドア(現・LDH)によるメディア買収騒動が起きた年だ。賛否両論あるが、旧世代が築いてきた社会通念、常識、既得権益をフラットな目線で再構築し、新しい世代の一部が自分たちのチカラで新しい時代をつくりたいと意思表明し、不器用な行動を起こした年だった。

<高橋氏インタビュー>

日本人のライフスタイルをイノベーション

 セミリタイアに終止符を打った理由は、競技者として年齢的に天井が見えたこと、やれるところまでやったという「やり切った」感が自分のなかにあったことなどです。また、上場を2回経験したある経営者に出会い、「会社を大きくすることは楽しいんだ」ということに気づかされたことも大きいですね。高校時代、大学に行かずにミュージシャンを目指して上京したのは、私にとって挑戦でした。独立・起業も、セミリタイアしてサーフィン、スノーボードをきわめることも挑戦。その結果が出て、次に挑戦すべきテーマを探していたとき、「そうだ、自分は会社を大きくすることに挑戦しよう」と決め、日本に戻ってきました。

 時代はインターネット黎明期。当社が提供していた波映像にも、いろんなところから「売ってほしい」という声を頂戴しました。その中にコンテンツプロバイダーとして成功していたサイバードがありました。サイバードのビジネスモデルを聞き、凄いと思い参考にしました。それは、協業スタイルで、売上をシェアする考え方。iモードが急速に普及するとともに、コンテンツは不足しており、協業することで、売上をシェアしながらパートナー企業と二人三脚で普及拡大に取り組んでいくことにしました。このレベニューシェアのビジネスモデルは、『デジキュー』などのほかのサービスでも一貫しています。

『デジキュー』は“BBQは都心を離れて、山や海といった自然のなかで楽しむもの”という常識を変えました。BBQは本来、都心部でこそ必要なレジャーだと思っています。都会には仕事があっても、心からレジャーを満喫できる空間が存在しない。そんな都会って楽しくないじゃないですか。遠出しなくても仲間と一緒に遊べる場所、家族や大切な人とリフレッシュできる空間がある都市の方がはるかにステキです。

 当社のスローガンは「余暇をもっと快適に!」。人々の快適な余暇のあり方を感じるため、私も会社のメンバーも、どんどん遊びに行って、自分の目でいろいろ見て、たくさん経験することを大切にしています。自分たちが楽しいと思ったことだけをビジネスにしていく。それが当社のやり方です。

 『デジキュー』の成功を受けて、進出を打診される案件はどんどんスケールが大きくなっています。広大な再開発案件などもあり、街づくりの重要な中核と位置付けられるようになっています。いま考えているのは、遊び場とショッピングモールが融合した壮大な集客力を持つ施設。余暇施設といえば、USJや東京ディズニーランド(TDL)が思い浮かびますが、たとえば埼玉県にあるイオンのショッピングモール、レイクタウンの集客数はTDLの実に2倍です。『デジキュー』で成功したO2Oのアプローチを駆使し、ITの力でモールという身近なリアルの施設に豊かな余暇を過ごせる空間をつくることができれば、日本人のライフスタイルは大きく変わり、もっと楽しくなるはずです。47都道府県に『デジキュー』の進化版のLet’s play worldを展開し、「地方創生」の起爆剤になりたい。

 インターネット技術を用いたスポーツ振興にも取り組んでいます。スポーツは子どもたちの精神的なストレスの解消にもなり、身体的・精神的に健全になるばかりでなく、仲間や指導者との交流を通じてコミュニケーション能力を育成できるため、青少年の育成につながります。スポーツ振興を図ることで、21世紀における明るく豊かで活力ある社会の実現を目指したいですね。

 私の人生のテーマは「人生をメイクする」こと。これからも人々の人生が豊かになる新しい価値の創出に挑戦し続けていきます。

<解説>

「遊びを仕事にする」ことの価値とは

 デジサーフがプレーする「余暇市場」。じつは古くから存在し、それでいて伸びしろの大きな市場でもある。

 そもそも日本に余暇の概念が浸透し始めたのは高度成長期。ある程度の豊かさを手に入れ、家計のキャッシュフローに余裕ができ、家電製品などのモノが充足していくと同時に、仕事に追われない「自分の時間」が生まれた。そのことを背景に、新たな「消費市場」として余暇市場は登場したのだ。代表的な事例は、農村における農閑期の団体旅行だろう。かつて農閑期の冬は、農村にとっては都市に出稼ぎする季節だった。しかし、「列島改造論」に象徴されるような「都市から地方への“強力な富の再分配”」を高度成長期に国が推進。辛い冬の出稼ぎの必要がなくなり、農閑期が「出稼ぎ」から「余暇」に転換した結果、国内景勝地などへの団体旅行が大きなブームになったのだ。

 その後、円高を背景とした海外旅行ブーム、「安近短」の身近なレジャーとしてのテーマパークブームなど、余暇市場ではさまざまなブームが生まれたが、姿は変われどそのほとんどは、「その場所に出かけ」「そこにある既存のモノを消費する」という団体旅行と同じ性質をもっている。その場所の絶景を、最新のジェットコースターのスリルを、そこにしかないグルメを、「予定調和で消費する」スタイルだ。

 しかし最近、自分を高めたり、家族や友人との絆を深めるための、必ずしも消費行動の亜種とは言えない余暇市場が生まれている。たとえば登山、キャンプ。その行為自体ではなく、山登りを通じて、キャンプを通じて生まれる非日常のなにかを求める、「なにかしらのコトを得る」ための余暇市場だ。この文脈の延長上にある余暇アイテムのひとつがBBQ。自分たちでグリルし、自分たちで盛り上がり、自分たちで思い出を創る手作り感、人間の主役感。それがBBQのだいご味のひとつだ。

 高校生の高橋氏が目にした大人たちの楽しそうではない様子とは、遊び=働いていない時間を無為に過ごすことで、人生の半分を喪失している姿だったのではないか。「遊びを仕事にする」「自分たちが楽しいと思えることだけをビジネスにしていく」というデジサーフのビジョンは、人間本来の生き方の提案という、ベンチャーならではのチャレンジに見える。

高橋 佳伸(たかはし よしのぶ)

株式会社デジサーフ 代表取締役

1966年、静岡県生まれ。24歳で独立・起業し、1993年に有限会社テスを設立。2004年に株式会社デジサーフへ商号・組織変更。

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