経営者の属人的なマネジメントがメンタル失調の原因に
―最近、“ブラック”という言葉が広がりすぎて、経営者も何をすべきなのか、少しパニックになっている印象すら覚えます。
そうですね。国が「健康経営」というキーワードを推奨していますから、良くも悪くも、従業員の健康に関してメディアへの露出が増えるきっかけになっていますよね。それだけに、対外的なイメージを気にして、社員の健康管理に関心を持ち始める経営者は増えています。
しかし、その関心の持ち方・動機は企業の成長ステージによって全然違います。相談件数が一番多いのが、おもに社員数50人未満のベンチャー・中小企業。ここでは足元で実際に問題が発生・炎上し、即時の対応が迫られているケースがほとんどです。これに対し、社員数50人以上の成長ステージにある企業では、社会的ステータスが生じることで、コンプライアンスの問題をクリアしたいという要請が動機になっています。さらに数百名規模の成熟期に入った企業の場合、業務効率の向上や社員管理の強化という動機に変わっていく傾向にありますね。
―ベンチャー・中小企業の相談が最も多い理由はなんですか。
ベンチャー・中小企業の場合、周りと同じことをしていては成長ができません。いまの成長に企業の存続がかかっているわけですから、どうしても長時間労働が増えてしまう。社員一人ひとりにかかる責任も、大企業の2~3人分に相当するでしょうから、もともと構造的に過重労働が起こりがちです。
これに加えて、社員をマネジメントする経験に乏しい経営者も少なくない。彼らは起業家やプレイヤーとして優秀なわけですから、できない人のことが理解できないんですよね。だから直属の部下に強くプレッシャーをかけて、過大な成果を求めてしまう…。ベンチャー・中小企業の場合、こうした経営者の属人的なマネジメントこそが社員の健康問題を引き起こす原因になりがちなんです。
オン・オフと睡眠時間を保てれば、長時間労働も“アリ”
―「社員の健康よりも成長が第一」と考える経営者が多いと?
いいえ。必ずしも社員の健康問題を軽視しているわけではないと思いますよ。むしろ、最近の経営者は、昨今の社会的な風潮の下で、「ブラック企業と呼ばれたくない」という想いは増しているんじゃないですか。社員の健康問題は、会社の業務や業績、社会的評価の低下を招き、最終的には採用力の低下につながりますから、深刻な問題だということも理解しているはずです。
実際には、どう対処していいのかわからないという経営者が多いのが実態に近いのではないでしょうか。収益を上げる手法やビジネスモデルを考えるのは得意でも、社員のメンタル失調や健康問題で組織が揺らいだ時にどう対処していいのかわからない。だから、なあなあで終わらせようとするんでしょうね。でも、それだと炎上しますよね。
―成長と社員の健康問題の狭間で悩むベンチャー経営者はどうすればいいんですか。
経営者も頭では社員の健康問題の重要性は分かっています。そこに、「健康経営を徹底せよ」と教科書的なアドバイスをするだけでは効果がないでしょうね。
構造的に過重労働に傾きがちなベンチャー企業の場合、心掛けるべきはオン・オフの切り替えなんです。長時間労働がすなわち過重労働につながりやすいのは事実ですが、両者はまったくのイコールではないんです。オン・オフがない長時間労働は圧倒的に業務効率が悪化するだけじゃなく、ソリューションを見つける創造性も失ってしまいます。そのため、長時間労働がさらなる長時間労働を生む悪循環に陥ってしまい、結果、過重労働となって健康被害をもたらしてしまうんです。ということは、オン・オフの切り替えを保つことで、長時間労働が過重労働につながる悪循環はある程度、回避できるということなんです。
ただし、睡眠時間を犠牲にする形での長時間労働、これはダメです。睡眠不足はかなりの確率でメンタル失調に直結しますから。つまり、土日はちゃんと休むとか、リフレッシュ時間を確保するなどオン・オフをしっかりと保ち、睡眠時間を維持した状態であれば、長時間労働を一部許容する考え方は、個人的には“アリ”だと思いますよ。単に杓子定規に長時間労働を批判するだけじゃ、現実問題、ベンチャー企業の健康管理を改善することにはつながりません。重要なのは労働時間よりもメンタル失調を減らすことですからね。
実際に、ハードな労働条件下にあっても、しっかりとした労務管理によってメンタル失調の抑制に成功しているベンチャー企業もありますから。
男性は入社5年目、女性は30代前半が要注意
―社員の健康管理をうまく実践しているベンチャー企業について、もう少し具体的に教えていただけますか。
たとえば、成長著しいある不動産ベンチャーの例です。そこはすでに社員1,000人規模に拡大しているのですが、メンタル失調での休職者は、ほぼいません。その会社は業績も好調で、会社や社員に勢いがある。業績が好調なら社員もアドレナリンが出て、メンタル失調が起きにくくなるものです。しかし、それ以外にもっと大きな秘密があったんです。
―その秘密とはなんですか。
秀逸なマネージャー研修を実行していたことです。組織活性、社員のモチベーションアップを図る仕組みづくりの一環として、徹底した管理職教育を実施していたんです。
50人以上のベンチャー企業の場合、末端の社員を直接束ねるマネージャーやグループリーダーという役職が生まれてきますよね。実は、この層の役割が社員の健康管理に最も重要なんです。彼らが社員の労働時間やモチベーション状態をうまく管理できれば、日常的な過重労働を抑制できます。
さらにポイントなのは、マネージャーに権限が委譲されることで、経営者は部下による社員管理を冷静かつ客観的な目で判断できるようになるんです。直属の部下には厳しくツメるのですが、斜め下の部下だと不思議とツメることはしないものなんですよね。経営者とは、えてしてエモーショナルな生き物ですから(笑)。結果、先ほど指摘したトップによる“属人的なマネジメント”を排することもできる。マネージャー教育にはそんな効果もあるんです。
さらに、マネージャー層が担う社員の「キャリア相談」が健康管理上、非常に重要なんです。
―なぜ「キャリア相談」が重要なのですか。
実は、メンタル失調の最大の原因は、将来のキャリアへの不安なんです。現在の仕事や成果が将来のキャリアにつながっているか不安になり、疑問を持ち始めるのです。この不安に直面するのが、男性の場合は入社5年目あたり、女性の場合は30代前半です。男性は入社から5年たてば、仕事をほぼ覚え、次のステップを描く際、「このままこの会社にいていいのか」と思い始めます。女性の場合、結婚や出産といった仕事上のキャリアとの選択で悩む。いずれもベンチャー・中小企業で会社を支える中核的な戦力といえる年代ですよね。
このキャリアの悩みに対し、マネージャーやグループリーダーがロールモデルとなって将来のキャリア像を社員にしっかりと示してあげられれば、先ほどの不動産会社のようにメンタル失調の芽を摘み取ることができるわけです。
組織の健康度を見分ける2つのポイントとは
―山田さんは多くの会社の健康問題に携わっています。どんなところに組織や社員の健康度が表れてくるものですか。
それは簡単です。ふたつありますが、ひとつは挨拶。もうひとつは、当たり前のことを当たり前にしているかということです。社員一人ひとりがしっかりと目を見て、元気に挨拶できている会社は活気があり、健全です。目は重要です。強制的にやらされているかどうかは、目に表れてきますから。これが、業績が悪化し始めると挨拶もできなくなってくるものです。今までできていたのに、できなくなっているならば、何らかの問題が組織内にあると考えたほうがいいですね。
―もうひとつの「当たり前のこと」とはなんでしょう。
“三種の神器”といえば大袈裟ですが、非常に重要な三本柱があります。「健康診断」「ストレスチェック」「勤怠管理」です。従業員の健康診断は、規模の大小に関係なく法律上の義務ですし、社員数が50人以上の場合、ストレスチェックの実施は法律で決められています。過重労働の防止にあたって、勤怠管理は必須です。経営者の中には「労働は量ではなく質だ」として勤怠管理を怠る方もいます。まったくその通りですが、だから勤怠管理が不要という話にはならない。逆にだからこそ勤怠管理が重要なんです。こうした当たり前の施策に対し、「本当に実施する必要があるのか」「なんとか回避できないか」という発想になっている会社は、ブラック企業の黄信号が灯っていると考えるべきです。
―最後に、社員の健康問題に悩む経営者にアドバイスをお願いします。
健康不安やメンタル失調などで休職者が1%を超えているのであれば、組織上なんらかの問題があると考えた方がいい。ときには社内の歯車が狂うことは当たり前で、重要なのは問題に気づいたときにすぐに改善策の手を打つことです。
たとえば、経営者の方には、離職者が出たときは組織の状態を振り返るために情報収集する貴重な機会と思ってもらいたい。経営者のなかには、退職者に対して理由も聞かないなど、ドライな方が意外に多いようですが、そんなときこそ、組織の状態を診断するうえで重要な情報をヒアリングできるものです。
制度を整えることも重要ですが、まずは日頃から社員や組織の状態に気を留めておくことが、経営者に求められる健康経営の第一要件ではないでしょうか。