和歌山発IT×農業ビジネスで上場しました
片岡
IPOを果された経営者をお招きして、そのリアルなところをお聞きできればと思っております。より突っ込んだ、深いお話を伺えればと思います。
テーマは「IPOを果たした経営者の節抜けした瞬間」。2015年のIPO社数は92社。実際、この裏側にある何倍も準備されてる企業様がいるのがIPOの世界です。そんな中で壁をぶち破り、見事に上場された経営者にお話をお聞きしたいと思います。
及川
株式会社農業総合研究所の及川と申します。当社は2007年に創業しました。上場は2016年6月16日に東証マザーズに上場しています。
農業総合研究所が何をしているかの前に、まずは私のご紹介をさせてください。私は学生時代から農業に危機感を抱いていました。「農業をどうにかしたい!」ということで会社を創業する前に自分で3年間、和歌山県で農業をやりました。それで正直言って、なかなか一百姓や一農家から農業を変えるのは難しいなと感じました。
それで何をやったかというと、1年間大阪の千里中央で八百屋をやらせていただきました。その経験を活かして今から9年前に現金50万円で作った会社が農業総合研究所です。
農業総合研究所が何をやっているかを一言でいいますと「農業×IT」のベンチャー企業です。ITを駆使してクリエイティブに新しい農産物流通を創造していく会社が農業総合研究所です。
農業と八百屋の両方働いた経験から、「作ることもしんどいけれども売るのもしんどい」。この水と油の関係は、両方やった人間じゃないとわからないと思っています。そして、水と油がまじりあう「流通」というものをコーディネートしない限り農業は良くならないじゃないかということで、現金50万円で作った会社です。
何をやっているのかというと、ITと物流のプラットフォームを提供しています。皆さん「道の駅」や農産物直売所へ行ったことがあると思います。ちょっと田舎にいけばあります。
道の駅は全国で2万店舗もあるんです。そういうものを、都会にもってきて、都会のスーパーマーケットの中で展開する。そのプラットフォームと物流のプラットフォームを農家さんとスーパーマーケットに提供をしています。
全国5,800の農家さんと55拠点を活用して、約700店舗のスーパーマーケット様に毎日、商品をITと物流プラットフォームを活用して提供している会社です。
農業って仕事は「ありがとう」の声が聞こえてこない
片岡
まずは、その事業を選んだ理由から教えていただけますでしょうか。
及川
事業を選び、起業をした理由は、農業に対する想いです。
僕、学生時代にほとんど勉強しなかったんですね。毎日ビールばっかり飲んでいて、もしかして、大学4年生のときにキリンビールさんから表彰されるんじゃないかなと。それほどビールを飲んでいたんです。
ただ、僕の通っていた大学は卒論を書かなければ卒業できませんでした。そのときに、今あるデータを使って5年後10年後100年後に日本の農業はどうなるかを調べました。
出た結果は、「農業をやる方の平均年齢がドンドン上がっていく」「農業をやる方の人数はドンドン減っていく」「耕作放棄地がドンドン増えていく」、そして最終的には「食料自給率が満たされないようになる」。そんな危うさを知ったんです。「おーい!」と思ったんですね。勉強しなかった僕が卒論のためにこんなにデータをいっぱい集めて調べた結果、悪い未来しか描けない。
「農業を改革しないと日本の発展は無いのではないか」ということで、「農業関連の仕事をやりたい」ということで、まずは自分で農業やりました。そのときに、びっくりしたのは、農業って仕事は「ありがとう」の声が聞こえてこないことです。
皆さん、仕事をやっていて「何が楽しいか」「何がモチベーションを上げるか」といったら、「ありがとう」「助かったよ」「また、よろしくね」という言葉が届くからこそモチベーションが上がると思うんです。でも、農協が間に入り、出荷から何からすべて行っていたら、こういう声は届いてきません。
それで、ちゃんと「ありがとう」の声が届く構造にしないといけないということで始めました。
農業の現場で思ったのは、生産だけでなく、販売だけでもなく、農協さんの流通を変えていかない限りいい農業というのはできないんじゃないか。そう想い、起業を決めました。
片岡
ビール飲んだ生活から一気に覚醒した感じなんですか(笑)?
及川
はい、ホントに、朝から晩までたくさんビール飲んでいましたね(笑)!
起業前もそうなんですけど、今まで「会社をやろう」とか「起業をしよう」とか「社長になろう」とか思ったことは一回もないです。農業の考え方を変える会社が無かったから自分でやるしかなかった。だから起業したというのが正直なところです。
最初は、もちろんなんですが、会社の作り方も全く分からなくて現金50万円から始まっています。ネタではないんですけども、今でこそVCってわかりますけども、昔はVCのことビタミンCかなって思っていました。それくらい当時は会社の知識が全く知らなかったんです(笑)。
片岡
上場を目指そうと思ったキッカケや理由を教えて頂ければと思います。奥底にあるところを吐露してください(笑)。
及川
僕は、そんなに上場したいという強い気持ちは無かったんです。会社を起業した理由も農業を変えたいというものでした。僕は世界の誰よりも農業への情熱は誰にも負けないんじゃないのかなと思っています。本当に農業を変えたいです。
そして農業を変えるためには、いろんな仲間であったり大きな力が必要だったりして、その一つの手段で上場をやってみたいと思ったのがスタートでした。
笑い話じゃないんですけど、ベンチャー企業であるならば、ベンチャー向けのプレゼン大会とかベンチャー大会に出られることもあると思います。
僕も東京へ行っていろいろとベンチャー大会に出ます。「和歌山から来た農業ベンチャーです」というと、「ぷっ!」と笑われるんですよ。まず「和歌山」というキーワードで「ざわざわざわ」とざわつき、「農業」というキーワードでも「ざわざわざわ」と。
周りを見ると、東京のITの会社が多い。それが悪いとは思わないです。ただ僕は「農場をナメんなよ!」「農業でも頑張れば上場だってできるぞ!」というのを産業界にも示したいなと思っています。
また、大学の先生もやらせていただくこともあるのですが、農学部の学生に「将来、何やりたいの?」と聞くと「六本木ヒルズで何か上場したいね」とか言います。「おい!農業やれよ!」と言いたいじゃないですか(会場笑)。
なんでかと聞くと「スマートだし上場とかできるし業界も安定しているし」とか言います。そこでふと考えてみたんです。実は、今までに上場した農業ベンチャーというのは無いんですね。なので、若者に対しても50万円から頑張ったら農業からでも上場できるんだと知らせることによって、もっともっと優秀な人材を採用育成できるという気持ちが芽生えました。
まだまだ農業の業界は遅れているんです。皆様の業界と比べてとても遅れている。私と同じ業界の人にも頑張ればこうなれるんだということを示したいなという気持ちが強かったから上場しました。
そしてやるならば、その中でナンバーワンを目指したい。農業ベンチャーが上場したことが無かったので、まずは農業ベンチャー初の上場企業になりたいなと思ってますし、次は東証の一部を目指して頑張りたいなと思っています。
最初の事業は大失敗
片岡
結果として上場を果たされましたが、勿論そんな簡単ではないわけです。上場に至るその過程で、諦めそうになった瞬間があり、それをどういう風に乗り越えてきたのかというご経験を、突っ込んでお話いただきたいと思います。
及川
具体的にどんなビジネスをやるのか全く決めていなかったため、仕事は全くありませんでした。そして仕事がないとまた例のごとく子どもができてしまう(笑)。
そこで家族会議を開き、1年間やって会社から給料が払えるようにならなければ会社はたたむという約束と、アルバイトをしてでも月10万円だけは家に入れるという約束をしました。これを妻に話したところ、あっさり承諾を得ることができたので、今この会社があるのは妻のお陰ですね(笑)。
起業当初は、生産者に代わって高級スーパーや百貨店などに生産物を売り込む農業の営業代行コンサルティングのような事業を行いました。具体的には私が農家の方々を訪問して、より買付価格の高い売り先を紹介して関係を構築し、商流ができたらコンサル料を農家の方々から頂くというものでした。
しかし、このビジネスは大失敗に終わりました。農家の方にとってコンサルティングという目に見えないサービスにお金を支払うという概念がなかったのです。農家とスーパーをつなげるために、農家から集めたみかんを持ってスーパーに売るとスムーズにスーパーとの契約は取れるのですが、スーパーとの契約がとれたので今月はコンサルティング料をいただけますか、と言うと農家の方々から「え!?スーパーを繋げてきただけなのにお金をもらっちゃうわけ?」と言われてしまいました。
農家の方々とは事前に契約を締結していたものの、結局農家の方々はコンサルティング契約という目に見えないものにはお金を支払う気がなく、私は稼ぐことができなくなりました。そしてお金を稼げずに家に帰ると、お腹をすかせた2人の娘が泣いているという惨状です。これは辛かったです。
困った末に考えたのが、お金の代わりに野菜・果物(現物)を頂くという方法でした。農家の方に、「お金はいらないからそこに置いてあるみかんを50箱ください」という話をすると「みかんだったら100箱ぐらい持ってけ。」と言われます。現物はくれるのか!と思いましたね(笑)。
しかも50と言ったら100くれます。お金を下さいというと「ふざけんじゃねえ!」と言われますが、現物になると「及川さんお世話になったからたくさん持っていきなさい」となる。そしてそのもらったみかんを大阪や和歌山の駅前でゴザを広げてみかんを売ることで、お金を稼ぐことができるようになりました。
作物をもらい駅前でゴザを敷いて売って現金化するという作業を繰り返すうちに、農家の間で「東京から来たお兄ちゃんに野菜や果物を与えると高く売ってきてくれるらしいよ」と噂になり、多くの農家から作物が届くようになりました。僕は作物ではなく、お金が欲しかったのですが・・・。(笑)
都会に道の駅を作る発想は、農家からお金ではなく作物を引き取っていくうちに農家の方から直売について相談を受けるようになったのがきっかけです。
ある閾値を超えると好循環の成長に入る。きっかけは売上1億円
片岡
その後ぐっと“節抜けしたタイミング”その時のお話を頂きたいのですが。
及川
きっかけは、売上一億円からだと思っています。たった一人、3年で一億円の売上をつくることができました。
そこまで、ずっと一人でやってきたんです。自分で農家さんを回って、自分でスーパーさんをまわって、自分で商流を作って。自分でトラックを運転して、自分で並べて、自分で販売して、入金管理も全部やって、挙句の果てには、生産者一人一人に深夜、メールを送るということを3年間ずっとやっていました。
そしたら3年後には一億円の売り上げが達成できまして、この一億円できたことは大きかった。
何故かというと、一億円くらいの規模になると、いろんなメディアに取り上げてくれました。テレビとか、雑誌とかです。たまたま、僕の場合は、AERAさんが興味をもってくれました。特集を組んでくれたんです。この雑誌もしくはテレビを観たいろんな方々から、お仕事をたくさん頂いたりしました。
一番大きかったのは、「一緒に働きたい」といってくれた人が集まってくれた。たくさんの仲間ができて今の会社があるのではないかと思っています。
今、辛いときかも知れないけれども、一つ、金額か規模かスタッフの数か、分からないですが、ある線を、超えたことになると、情報発信ができて、規模を拡大するときに、仲間がいっぱい集まるときがあります。
片岡
上場で何が変わったか教えてください。
及川
特に変わったこと、無いですよ。僕は今回上場しましたが、売り出しがゼロなんです。上場しても1円も増えていません。全く増えてないです。けれど、まわりから「お金持ちになったね!おごってよ!」と言われ続けており、ちょっと厳しいなと思ってます(笑)。
私生活も変わっていません。まだ、僕の会社の車は、中古のカローラです。カーナビ無し。
ただ一つ、変わったとしたら奥さんが優しくなりました(会場笑)。
おかずが一気に増えたりですね。なぜか、奥さんから「株上がったね」「下がったね」「株価動いたけど今日なにしたの?」とか奥さんとのコミュニケーションがとても良くなったと思っています。
あと、フェイスブックで知らない人から「今度上場したんだって、おごってよ」ってくるんですよね。「誰だよ!知らないし、何でおごるんだよ」と(会場笑)。
ちょっと嬉しかったことは、先日、先輩に銀座へ連れて行ってもらったんです。銀座のママさんって株とかやってる方多くて、初対面で「農業総合研究所の及川です」と自己紹介したら、「え?あー!あの!」と。銀座のママから名前覚えてもらえたことは嬉しかったです(会場笑)。
仕事は、そんなに変わらないんです。けれど、大きな会社からいろんな仕事が舞い込んでくるようになりました。昔は頭を下げて、それでも、なかなか仕事を頂けなかったんですけれども、頭を下げなくても、他業種の大きな会社から、業務提携話がくることになったのは、上場して良かったなと思ってます。