「ナニ、それ?」からのスタート
―最初に事業の状況を聞かせてください。
2000年に留学先のロサンゼルスで創業し、帰国後の2004年に法人化した当時はSEOツールやWebコンサルタントなど、中小企業のIT化を支援する複数の事業を展開していました。2011年に「チャットワーク」をリリースした後は、会社の事業をこれ1本に絞り、社名もEC studioからChatWorkに変更しました。
お使いの方もいらっしゃるかなと思いますが、チャットワークはチャット、ファイル共有、タスク管理、ビデオ通話/音声通話など、4つの機能をもつシンプルで使いやすいビジネス・チャットツール。現在の顧客企業数は約15万7,000社以上で、毎月、数千社増えています。
ちなみに、iPS細胞でノーベル生理学・医学賞を受賞された山中教授が率いる京都大学iPS細胞研究所もチャットワークをお使いです。ノーベル賞受賞に多少なりとも僕らも貢献できたかなと思っていたんですが、聞くところによると山中教授がチャットワークユーザーになったのはノーベル賞を受賞された後、ということだそうです(笑)。
チャットワークのユーザー数は右肩上がりで伸びているんですけど、事業単体の月次損益はギリギリの状態でずっとやっています。導入社数が増え、チャットワークの名前を聞く機会が多くなったためか、社外の人からは「ChatWorkさん、スゴイですね」とか言われることがあるんですけど、いやいやいや。そんなに甘くないですよね。
収益の稼ぎ頭は別にあります。「ESET」というセキュリティソフトで、当社はその正規代理店です。「ESET」を担当している社内メンバーは数人。ほかは全部、チャットワークの開発にあたっています。わずかな人数で稼いでいるセキュリティソフトの販売代理の利益をはじめ、調達した資金を全部チャットワークにつぎ込んでいる。そんな状態です。
ただ、おもしろいなと思うのが、この間、日経新聞を見ていたら「世界の時価総額トップ10企業」という記事があったんです。それを見ると、Google(を傘下にもつAlphabet)、Facebook、Tencent、Alibabaなど、コミュニケーションサービスをリリースしている会社が7社もランクインしている。
時価総額が何兆円、何十兆円に達する超巨大企業がわれわれのライバルだ、ということです。チャットワークの2年後にリリースされた(エンジニアを中心に普及している)Slackも時価総額5,000億円超の企業です。
チャットワークをリリースした頃に「チャットワーク」というワードで検索したんですよ。1番目にヒットするのは当社の「チャットワーク」でしたけど、それ以外は「チャットレディ募集」みたいなページばっかり(笑)。実際、チャットワークを出した時は「ビジネス・チャット? ナニ、それ?」みたいな反応でした。それがいまや超巨大企業が鎬(しのぎ)を削る市場に成長している。おもしろいと思いません?
「巨象を倒す」というワクワク感
―超巨大企業と競合しているのはビビりませんか?
はじめの頃はちょっとびっくりしましたけど、逆にいまはすごいチャンスだな、と思ってるんですよ。だから、おもしろいなぁって。
たとえるなら、超巨大企業は象。僕らは蟻んこです。でも、蟻んこを相手にする象なんていないし、象は象同士で戦ってくれた方が蟻んこにとってはいいんですよ(笑)。ドカン、ドカンと戦っているところに、ちょっと毒をもった蟻んこが象に気づかれないうちに足元をぐわーっと取り囲んで倒す。そんなイメージが描けるんです。
規模が大きいゆえに、超巨大企業には絶対にやれないことってあると思うんです。たとえば、みんなAIには行くんですけど、だったら僕たちは他の領域に思い切り振りきればいい。
すでにいくつか具体的なプロジェクトが進んでいるんですけど、AIには絶対にできないこと、つまり超巨大企業にはできない、蟻んこだからこそできるサービス、それも世の中から本当に望まれているサービスに振り切って、今後、どんどんリリースしていきます。
「超巨大企業と競合してますけど、大変ですね」などと心配されることもあるんですが、どうやって象を倒そうか。それを考えるのがいまの僕の楽しみのひとつだったりします。
シリコンバレーで考え方が180度転換した
―会社にとって大きな転機になったことを教えてください。
最大の転機は事業をチャットワークに絞り込んだことです。
冒頭でも少し申し上げましたが、2004年の設立当初からしばらくはSEOツールやWebコンサルなど複数のITサービスを展開していました。結構、伸びていたんです。だけど、2005年か2006年頃に全部止めちゃおうと決断しました。
理由は、だんだんと競合が増えてきて、それもリアルでコンサルティングする会社が増えてきたことです。このまま続けてもいずれジリ貧になるな、と思ったんです。
でも、やっている事業はそれしかないし、ほかにスキルやノウハウがあるわけでもなかったので、メンバーに「既存事業は止めて、次の事業をやろう」と言っても誰も乗ってこない。それでトップダウンで(事業転換を)決定しました。いきなり全部止めちゃうと死んじゃうので、既存事業での新規受注はストップ、というカタチで事業を縮小していきました。
メンバーの反応は「なんでですか」「まだまだ全然売れるのに」と不満タラタラ。新規をストップすると、解約もありますから、売上が徐々に減っていきます。当然、社内は焦りはじめ、「じゃあ、どうするんだ」となります。僕は「業務効率化支援に入って行こう」と思っていたので、次の事業はそれで、という風にまとまっていきました。
―社内を“兵糧攻め”することで既存事業から新規事業への転換を図ったんですね。すごい荒業です。
中途半端なことをやっていたらダメだ、という危機感がありましたから。
シリコンバレーに行ったとき、FacebookにしろTwitterにしろ、何千人、何万人の会社がひとつのプロダクトに集中して戦っていることに衝撃を受けました。その頃の僕らは、たった30人のリソ-スを10コくらいの事業に分散させていた。「こんなんじゃ絶対ダメだ」。そう思いました。だから事業を絞り込むことにしたんです。
シリコンバレーは、もうひとつ、大きな転機をもたらしてくれました。2012年にシリコンバレーに進出したことで「上場しなければいけない」と考えるようになったんです。
それまでは、自己資本100%でやって行く、他人資本は入れない、上場しない。そんな我が道を行く、自主独立宣言をしていたんですけど、180度転換しました。
ジリ貧で死ぬのはイヤだ
―なにがあったんですか。
進出して2年ぐらいたった頃、ビジネス・チャットの領域でいろんな競合サービスがシリコンバレーで生まれ始めました。最初は気にしていなかったんですが、日本でも普及しているEvernoteがビジネス・チャットを出してきた。しかもチャットワークという言葉を逆さまにしたサービス名だった(笑)。これはヤバいんじゃないかと思いました。
その頃、僕らは自己資本100%の会社なので、単月決算が100万円、200万円の赤字になっても焦ってしまうような状態。利益が出たら人を採用し、出なかったら耐える、みたいな感じでした。
社運をかけてシリコンバレーまで来たのに、こんなカツカツの状態でいいのか。人生賭けていると言っている割には中途半端。自己資本主義とかにこだわらないで、資金調達をして思い切り勝負すべき。そんな想いを抱き、思い切って取締役会で、こんなことを言いました。
「これまでの方針があるけど、それに縛られてジリ貧で死ぬのはイヤだ。そうじゃなくて、思いっきり調達して、思いっきり跳ねるか、いっそのこと思いっきり散る。そのくらいのことをやらなきゃ意味がないんじゃないか」。こんな演説をぶって外部からの資金調達を提案したんです。
それまで15年間、守り続けてきた価値観、約束があるので、ほかの役員からは「それはどうなんですか」といったような反発や反対意見が、当然あると覚悟していました。
ところが、ほかの役員からは「いや、昔からそうなっていましたよね」「その2択でやってきましたよね」といった反応。それまで証券会社やVCからいただいていた資金調達のお話を全部断っていたんですが、いざフタを開けてみたら、自己資本主義に囚われていたのは自分だけだった(笑)。
こんな具合で、外部から資金調達し、上場を目指すという大きな方針転換は、たった5分間の取締役会で決定したんです。
「小っちゃいな」と笑われた
―最後に、今後のビジョンを聞かせてください。
これからやりたいことはふたつあります。ひとつは、すごくざっくりしてるんですけど、大きなことをやらないとな、と思ってます。
シリコンバレーに行って「オレは日本を変えたいんだ」と言ったら、現地の起業家などから笑われたんですよ。「ハァ? 小っちゃいな」って。「お前は世界地図のなかにある、この小っちゃな日本だけを変えたいのか。ああ、なるほどな」。そんな風にバカにされました(笑)。
シリコンバレーのいいところは、みんな大ボラ吹きなんですね。まだローンチすらしていなのに半年後にはユーザーが500万人になっている、とか平気で言っちゃう。だけど、目線の先に世界を見据え、大きな構想を描いて、大きなことにチャレンジしているから、Facebookみたいなメガ・ベンチャーが生まれるんです。だから、大ボラもむげにはできない。
いま、神戸を舞台に街づくりに関した、ちょっとぶっ飛んだ構想を提唱しているんですけど、そうしたら200人くらい、すでに乗っかってくれました。ホラは吹いたモン勝ち。大きなことにチャレンジして、それを実現させていくことで、シリコンバレーのように大きなビジョンに挑戦する人を生みだせる環境が日本でもなんとかできないかな。そんなことを考えています。
もうひとつは、「自分たちでやってきたこと、やりたいことだけしか、やらない」ということ。この軸はブラさず守っていきたい。
もともと、僕らの会社が創業時にやっていた事業は、僕が高校生の頃にパソコン通信でやっていたサービスを事業化したもの。チャットワークにしても、たくさんの顧客企業とのやり取りなどを効率化するために自社でつくったシステムを事業化したものです。単なる儲け話のような誘いには一切乗らず、自分たちが「これはいい」「世の中のためになる」と思ったことだけをやり続けていく。ここは変わらず、貫いていきます。