インタビューの前に~HEROZのビジネスモデルを簡単に紹介
IPO時におけるHEROZの売上の主柱のひとつはAI機能を搭載したオンライン対戦将棋アプリ「将棋ウォーズ」。2018年7月30日時点のダウンロード数は470万人超を誇る。課金すればプレーヤーに代わってAI(棋神)が5手指してくれるほか、“格ゲー”さながらの派手なアクションが特長。“地味で年配層向け”のイメージが強かった将棋を、エンタメ性あふれる頭脳ゲームへと一変させた。
日本将棋連盟が公認するオンライン対戦型将棋アプリでもある。日本将棋連盟は「将棋ウォーズ」での獲得段位を認定しており、免状を発行している。楽しみながら棋力を向上させることができ、身につけた実力をオーソライズしてもらえる―。こんな “新しい価値”が2012年のリリースから短期間で会員数を急増させることができた要因だ。
HEROZは将棋のほかに、囲碁(サービス名「囲碁ウォーズ」)、チェス(同「CHESS HEROZ」英語版のみ)、バックギャモン(同「BackgammonAce」英語版のみ)などの頭脳ゲームアプリも提供している。
しかし、同社は“ゲームアプリ・ベンチャー”のone of themではない。上場前年の2017年に、頭脳ゲームの開発過程などで蓄積されたAI技術をベースに独自のBtoB AIサービス「HEROZ Kishin」をリリース。すでに建設や金融・品質管理・エンタメ業界などのさまざまな著名企業に提供している。顧客企業には竹中工務店、マネックス証券、デジタルハーツホールディングス 、バンダイナムコエンターテインメント、コーエーテクモゲームス などが並ぶ。
HEROZの最大の強みであり、成長力の源は“実戦”に裏付けられたAIエンジニアが多いこと。将棋の名人を破った「Ponanza」を開発したリードエンジニアや世界コンピュータ将棋選手権で優勝したAI「Apery」を開発したリードエンジニア、NEC研究所出身で電気通信大学と共同で麻雀AIに関する基礎理論を発表したエンジニア、同じくNEC研究所出身で学生時代は「スーパーコンピュータコンテンスト」の常連だった開発部長が在籍しているほか、大手IT企業の研究所出身者や博士を含む多数のAIエンジニアがHEROZに所属。約40名のメンバー(2018年4月時点)のうち4分の3がエンジニアで、7割はAIやアルゴリズムの開発に携わっており、6割前後が大学院に進学している。
HEROZを創業したのは共同代表を務める林隆弘氏(代表取締役CEO)と高橋知裕氏(代表取締役COO)。ふたりは早稲田大学出身で、林氏は教育学部、高橋氏は理工学部。ふたりとも1999年にNECに入社している。出会いは早稲田大学出身者によるNEC内定者会だった。そして、10年のサラリーマン生活を経て、林氏の起業の呼びかけに高橋氏が応じるカタチで、2009年にHEROZが設立された。
インタビューでは林氏の幼少期にまでさかのぼった。どんな育ち方をして、なにを見て、どんな経験をしてきたのか―。人格形成の過程に立ち入ることで、AIで世界を変えることにチャレンジしている“起業家の頭脳”をのぞいた。林氏は静岡県沼津市出身だ。
超えられない壁
モノ心ついた頃から両親には「なんでもいいから1番になれるものを見つけるのが良い」と言われていました。といっても両親はフツーの人。家もごくフツーの家庭。「1番になれ」というのは、特別な意味はあんまりなくて、わが子に対する親としてのごく普通の期待の言葉だったんでしょうね。でも、刷り込みでしょうか、小中学校は自分が1番になれるものを本気で探していた時期でした。
子どもなので、スポーツで1番になりたいと思っていました。水泳、サッカー、テニスと、いくつかの習い事をやらせてもらいましたね。スポーツは得意と感じてました。習っていた水泳、サッカー、テニスでは、代表として地域で戦えるくらいにはなりました。でも、上には上がいるんですよね。まわりには水泳ではジュニア・オリンピックの代表に選ばれたり、サッカーではその後Jリーグに行くような子たちがいました。
そうした子たちと比べると、やっぱり大きな差があるんですよ。絶対に乗り越えられない壁ってあるんだなと思いましたね。天性の向き・不向きの前には練習や努力は空しい、というか。
一方で、勉強は嫌いではありませんでしたが、特別、家に帰って勉強することもほとんどありませんでした。あとでお話すると思いますが、家では「詰め将棋」の本などを読んでました。学校の授業中も教科書を見ているフリをしながら好きな小説を読んだり、詰め将棋の問題を解いていました。
幸いにも通信簿は5段階評価で良い方でした。頭を使うことが本当に好きでしたね。カッコつけてるわけではないですが、天性の向き・不向きでいえば、きっと勉強の方がスポーツよりも向いていたということなんでしょうね。
じゃあ、勉強で1番を目指せばよかったんじゃないかということですけど、そう思ったことはなかったんです。だから、勉強はいつも巡航速度。やらなくはないけど、ガーっとやるわけでもない。いま振り返れば、もっとちゃんと勉強しておけばよかったと思います。
反抗期みたいなことは特にありませんでした。学校では元気な子ども、家に帰ったら本をおとなしく読んでいる。そんな“外弁慶”の子どもでした。
神童
将棋は誰かから教わったわけではありません。小学校1年生か2年生の頃だったかな、校内で将棋大会みたいなのがあって、それまで将棋の駒をもったことすらなかったんですけど、ルールを覚えてやってみたら、するすると勝っちゃった。これが僕と将棋の出会いです。
その後、ブランクがあって小学校5年生の頃、なんとなく「また将棋をやろうかな」と思ったんです。それで将棋教室に通いました。と言っても行ったのは週に1回くらい。熱心に打ち込んでいたわけではありません。ただ、詰め将棋がおもしろくて。家で詰め将棋の本ばっかり読んで解いていました。詰め将棋はパズルゲームのようなもので、考えることは好きだったんです。
将棋教室には大人もたくさん通っていましたけど、すぐに教室内でいちばん強くなり、その頃から大人が参加する一般棋戦に参加してました。中2のときには一般棋戦の全国大会に出場するくらいのレベルになりました。
「将棋のプロを目指さないか」というお話をいただいたのはその少し前の頃です。A級といって、プロ棋士のなかでも10人しかなれない最高クラスを経験したことがある著名な先生から「弟子にならないか」というお誘いを頂戴したんです。
なかなかないことですし、「プロを目指すのもおもしろそうだな」と思いました。でも「高校に進学しないこと」という条件を提示されたため、断念しました。
将棋のプロになるには、まず「奨励会」というプロ棋士を目指す人たちが集まる日本将棋連盟の組織に入り、そこの対局を勝ち抜いて、四段にならなければなりません。四段になれば獲得賞金と対局料がもらえるプロ棋士になれます。4~5年かけて奨励会を勝ち抜いてプロ棋士になれれば早いほうで、もっとかかるケースがほとんどです。実力が認められて奨励会に入ったものの、プロになれずに断念する人の方が圧倒的に多い熾烈な世界です。
奨励会には全国各地から集まった実力者がひしめきあっています。この厳しい登竜門を勝ち抜いてプロになるために、とにかく24時間“将棋漬け”の生活を送らなければならない。そのためには高校進学は将棋の支障になる―。当時は「プロ棋士になるためには高校に進学しない」という考え方もありました。いまでこそ大学を卒業したプロ棋士もたくさんいますけどね。
本気でプロ棋士を目指している人なら、「高校に行かないなら内弟子にしてあげる」と言われても、ふたつ返事で「わかりました」となるんでしょうけど、「高校に行かないのは厳しいかな」と思いました。だって高校生活って楽しそうじゃないですか(笑)。人生の選択肢をその段階で狭めるのは現実的ではないと考えました。
その後も趣味として将棋は続けました。高校・大学では将棋部に入り、「全国高校将棋選手権」で優勝したのを皮切りに、進学した早稲田大学では1年生で「学生名人」、「全国オール学生将棋選手権戦」も優勝、翌年春にアマチュア将棋の6大タイトルのひとつ「朝日アマ将棋名人戦全国大会」に当時最年少で優勝しました。
「永世七冠」という空前絶後の称号を獲得した羽生善治竜王と席上対局で2度対戦させていただいこともありました。その時は駒落ちのハンデ戦で1勝1敗でした。羽生先生と対局して、「プロ棋士にならなくてよかった」とつくづく思いましたね。読みの量、深さが“異次元”なんです。
その差は、努力や練習では絶対に埋められない。失礼な言い方かもしれませんけど、最大の畏敬の念を込めて「人間じゃない」と感じました。それくらいの衝撃がありました。
将棋で負けたときって、もちろんすごく悔しいですけど、納得できますよね。将棋には運の要素はありません。自分の読みや構想が相手を上回っていれば勝てるし、下回っていれば負ける。勝敗を決めるのは、その一点だけ。勝っても負けても、説明不能な理不尽さや不条理は一切ない。すべては自分の実力、なんです。
運命の出会い
大学を卒業したら将来起業しようと思ってました。僕にとっての大学生活はそのための準備期間。「なにで起業しようかな」ってずっと考えていました。
人に教えることが好きで塾講師や家庭教師のアルバイトをしていたこともあって、一時は本気で「塾で起業しようかな」と思ったこともあります。ビジネスモデルを考え、難しいと思い断念しましたけど。試行錯誤していて、就活は時間切れギリギリまでしていませんでした。
「経営者になりたい」と公言したのは小学校6年生のとき。文集で「将来は社長になる」と書きました。世の中で1番になるってなんだろうと考えて、「だったら社長だろう」と思ったんですね。親族には会社経営者もいたので、社長という言葉はわりと身近だったことが影響していたのかもしれません。
自分で起業するのが社長になるいちばん速い方法だと思っていました。どこかの会社のサラリーマンになって社長のポストに上りつめていく、というイメージはありませんでしたね。
状況が変わったのは大学を卒業する前年にMicrosoftからWindows 98がリリースされたこと。「これは世界が変わるかもしれない」と直感し、起業するならITの潮流に乗らなければ話にならない、と思いました。でも、ITの知識や経験は自分に全然ありません。それを身につけるためにNECに就職しました。
ですから「勤め上げよう」なんていう気持ちはまったくなくて、採用面接で「10年後はなにをしていますか」という定番の質問をされたとき、「10年後は起業しているので会社を辞めてます」と答えたくらい(笑)。こんな生意気なことを言ってのける大学生を採用したNECって、度量のある会社だなと尊敬しています。
共同創業者の高橋と出会ったのは大学4年生の時。早稲田大学の学生7~8人が集まって開かれたNEC内定者会が初対面の場です。自分が起業するには絶対にパートナーが必要だと思っていたんですが、初対面で高橋にビビッときましたね。僕と違って大人な感じで、洗練されていて、なによりイケメンじゃないですか(笑)。一目ぼれっていうか、狩りをするハンターがようやく獲物を見つけた瞬間の気持ちに近いかも(笑)。
■高橋氏インタビュー「夜な夜なふたりでiモードなどのサービスづくりをしていました」
NEC内定者会でも林は目立ってましたね。いまと変わらずよくしゃべるし、携帯を何台ももっていて、しょっちゅう電話がかかってくる。なんか可愛らしいオーラが出ていて、無邪気な感じ。とても印象に残る人でした。
NECに入社後は、林はIT戦略部という外部の大手企業やベンチャーなどとアライアンスするセクションに配属され田町本社で、僕はシステムエンジニアとして伝送部門に配属され武蔵小杉の研究開発部門のオフィスで働いていました。再会したのは研修で田町の本社に行ったときでした。詳しくは覚えていないですけど、林の方から「何か一緒にやろう」と声をかけてきたんです。
林は入社面接で「10年後には起業しています」と言っていたらしいですね。じつは僕も「10年後は会社を辞めています」と答えていたんですよ。僕は林と違って起業志向といえるようなものはあまりなく、ただ「いろいろなことにチャレンジしたい」という気持ちからそう答えたんです。
林と一緒にやったのは、当時、リリースされて間もないiモードのサービスづくり。会社の本業とは別に、仕事終わりや休日にどちらかの家に集まって占いなどiモードのサービスをつくっていました。
iモードがリリースされたのはNECに入社した年。リリース直後から爆発的に普及していくんですけど、サービスが全然足りなかった。“大企業の論理”でiモードのサービスのようなスモールビジネスを会社の事業としてやる動きはありません。確実にニーズはあるし、会社と利益相反にもならないし、技術的な難度は低いのでエンジニアとしては研究対象にならないんですが、とにかくサービスづくりがおもしろい。女性誌やファッション誌などを参考にしながら、占いとか恋愛診断とかのコンテンツをつくってました。
男ふたりでわいわい言いながら夜な夜なそんなことをやっているのは、まぁ端から見たら、ちょっと気持ち悪い光景ですよね(笑)。こうした濃密な時間を一緒に過ごすうちに「将来は一緒に起業しよう」という意思がふたりの間でなんとなく固まっていきました。
僕たちがつくったサービスは、そこそこ支持されたと思います。ふたりでやり始めてしばらくして、ある大手のVCさんから「出資したい」というお話も頂戴しました。ただ、いずれ会社を飛び出すのは既定路線になっていたものの、「でも、いまじゃないよね」という認識で一致していました。
結果的にその判断は正しかったと思います。一時は世界最大の利用者を誇ったiモードですが、その後、スマホに駆逐されることになりますから。
ふたりで会社を辞めて起業したのは、入社からちょうど10年たった2009年。きっかけは2007年にiPhoneが販売され、スマホ時代が到来したことです。
2008年のリーマンショックの余波がまだくすぶっていて、資金調達の面では多少の不安はありました。けれど、世界を一変させる猛烈な変化を見て、「起業するなら、このタイミングを逃してはダメだ」と思いました。
起業直後はスマホアプリをいろいろとやっていました。AI機能を搭載した「将棋ウォーズ」をリリースしたのは2012年です。ちなみに、僕は林と違って、多少はできますけど、将棋はほとんどやりません。
何事も楽しむ
HEROZにはほかのテック・ベンチャーとは異なる大きな特徴があります。それは「将棋のアマの有段者が多い」こと。それも“強豪”と言われる人が多いんです。Ponanzaの開発者で東大将棋部で活躍した山本もそのひとり。“将棋つながり”で山本とは以前から知り合いでした。
山本は「将棋の名人を倒す」という明確な目標をもって将棋AIの開発に取り組んでいました。当時、将棋のコンピュータソフトはいくつか出ていたんですけど、アマのちょっと強い人に負けるレベル。「AIで名人を倒せる日がきたらいいね」なんて話していました。
AIに強い興味をもちはじめたのは会社を設立した2009年頃から。ある研究機関から「脳の働きを調べる被験者になってくれないか」というお誘いを受けたことがきっかけです。
その研究機関では将棋をやっている人にフォーカスした研究をしていて、僕が選ばれたようです。将棋における局面の状況判断や指し手の決定過程などにかかわる脳の神経回路の情報処理メカニズムを解明し、人間に特有の直感思考の仕組みを解明することを目的とした研究でした。それがおもしろくて脳の働きについて興味がわき、「知の謎」の解明を目的のひとつにしているAIにも関心をもちました。
「将棋ウォーズ」では不利な場面などでAIが自分に代わって指してくれます。「それってズルじゃないですか」なんて聞かれることもあるんですけど、将棋をやっている人が将棋をやらなくなるのは勝てないからなんですよね。そこをAIが手助けしてくれる。困難な局面をどうすれば打開できるのか、勉強になるし、なにより勝てるから楽しい。楽しいから続けられるし、続けられるから上達する。
「将棋ウォーズ」が格闘ゲームさながらに、派手な音が出たり、駒がいろんなアクションをするのは、将棋は楽しいものだ、ということを伝えたかったから。AI機能も将棋の楽しさを味わってもらうためです。
会社のバリューとして「驚きを心に、何事も楽しむ」という言葉を掲げています。楽しさって大事だと思うんですよ。HEROZのメンバーには仕事を楽しんでもらいたい。ですから、エンジニアチームでは、まとめ役の開発部長がひとりいるほかは、あとは全員できる限りフラット。プロジェクトごとにリーダーが生まれる組織形態にしています。自由に意見を出し合い、自分がもてるチカラを十分に発揮して、楽しく仕事をしてもらう。そのためには、いまのカタチがいいと思っています。
対局相手は超巨大、だから楽しい
「HEROZ Kishin」は将棋AIの研究開発で培った技術から構築した独自AIサービスです。インプットするデータを変えるだけで幅広い産業でさまざまな課題に対して効率的にAIサービスを提供することを目指しています。たとえば、「この場所に、こんな建物をつくりたいな」と思ったら、完成図を書いてインプットすれば設計図をつくってくれる。そんな世界の実現です。
AIが人間の仕事を奪う、とは思わないですね。AIは人間を補助し、創造的な部分に人間を集中させてくれるツールではないでしょうか。悪い心をもった人が、たとえば戦争にAIを導入しようと思えば、それができてしまう側面もあります。AIをどのように使うか、なにに役立たせるのかを考えるのは人間。HEROZはAI「HEROZ Kishin」により人手不足問題が解決したり、働き方改革が進み、人間の暮らしが良くなること、世のなかが楽しくなることに役立てます。そうした「人工知能(AI)革命を起こし、未来を創っていく」ことを私たちは目指しています。
「数字をつくれ」みたいな発想にはできる限りしたくないです。HEROZの売上とは僕たちが社会に与えた“インパクトのお釣り”なんです。どれだけ儲かるビジネスであっても、長期的に社会に与えるインパクトが強くないことはしたくないですね。
いま、業界的な課題であり、そしてHEROZにとっても圧倒的な課題があります。それは人が足りていないこと。規模にこだわっているわけではありませんが、どんどんチャレンジして成長していきたい。ただ、会社規模が大きくなっても、技術者が自分の力量を発揮できるよう、重い組織にはしたくありません。ものごとを迅速に進め、個人の能力をリスペクトする風土を大切にしていく先に、HEROZの成長があると思っています。
小学生の時に書いた「社長になりたい」という念願がかなったわけですけど、1番になれたなんてまったく思わないですね。ここがスタート地点なんです。会社の代表になって気づきました。まだまだですし、終わりなき旅だと思います。
HEROZがやろうとしているAIを活用したBtoB領域のビジネスは、超巨大なグローバル企業がしのぎを削り合っているメインストリームです。でも、自分たちのポジションは絶対にあると思っています。「M&Aでイグジットすることは考えてなかったんですか」という質問もよく受けますけど、考えたことはもちろん、視野をかすめたことすらありません。
IPO時には創業者は売り出しをしていません。世俗的な成功を求めるために起業したのではなく、社会にインパクトを与えたい、世界を驚かすサービスを創出したいという想いで起業したわけですから。「IPOで生活が変わりましたか」っていうことをよく聞かれるんですけど、生活レベルだけで言うとなんにも変わっていません。
経営ではまだまだ自分の壁や限界は見えていません。だから、すごく楽しい。Google、Amazon、Facebook、Microsoft、Appleといったスーパー企業をビジネスの対局相手にプレーできているのは、すごく楽しい。
【PROFILE】
(左)HEROZ株式会社 代表取締役(CEO)林 隆弘(はやし たかひろ)
1976年、静岡県出身。1999年に早稲田大学卒業後、日本電気株式会社(NEC)に入社、IT戦略部、経営企画部に在籍。2009年4月にHEROZ株式会社を設立し、代取締役(CEO)に就任。
(右)HEROZ株式会社 代表取締役(COO)高橋 知裕(たかはし ともひろ)
1976年、千葉県出身。1999年に早稲田大学卒業後、日本電気株式会社(NEC)に入社、海外光伝送事業部、BIGLOBE、経営企画部に在籍。2009年4月にHEROZ株式会社を設立し、代取締役(COO)に就任。
◆PHOTO:INOUZ Times