目次
◆意外と多い「思ってたのと違った」
◆持ち株を売るに売れない創業者
◆バイアウトの方が儲かります
◆それでも上場すれば「景色は変わる」
【PROFILE】
株式会社うえる 代表取締役
1973年生まれ。1997年にソフトバンク株式会社(現・ソフトバンクグループ株式会社)に入社し、経理財務部にてソフトバンクの資金調達やBPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング)プロジェクトに従事し、1998年の分社にてSBIグループへ。株式会社SBI証券の立ち上げ、ナスダック・ジャパン上場プロジェクトに参画した。2015年に独立し、IPO全般の支援事業を開始。現在約20社の企業と顧問契約。
◆PHOTO:INOUZ Times
意外と多い「思ってたのと違った」
本当のことを話せば相手をシラケさせたり、水を差してしまいかねない時、ウソではないけれど、あえて真実は言わない。知っているのにしらんぷり。世の中、こんなことは珍しくありませんよね。経営者の大きな夢のひとつであるIPOにも、それがあてはまります。
指定替えを除いて、多くの経営者にとって新規上場は一生一回。それだけに、IPOにいろんな夢を見たり、期待をかけます。だけど、往々にして、夢や期待はアテが外れることが少なくありません。
一方、主幹事証券会社や監査法人、IPOコンサルタントなど、IPOにチャレンジしている経営者や企業をサポートする、いわゆるIPO関係者は豊富な知見をもっています。たくさんの他社事例を知っています。「こうすれば成功する」といったベストプラクティスに通じているし、「こんなことをすると失敗しますよ」というバッドプラクティスも知り抜いています。
初めてIPOをする経営者にとって、支援経験が豊富なIPO関係者は頼りになる相談相手。でも、IPO関係者には、基本的に「中立性を保つ」という立場があるので、真実を話せない場合がありますし、「本当のことを言うと、せっかくIPOに挑戦している経営者を怒らせたり、がっかりさせてしまうのでは」。そんな“忖度”が働く場合もあります。
IPOにチャレンジする当事者と支援するサポーターのスレ違いは、時として次のようなことを引き起こします。「大変な思いをしてIPOという“険しい山”を登ってみたけど、いざテッペンまでくると、見える景色が思ってたのと違った」「聞いてた話と違う」「なんのためにIPOしたんだっけ?」―。IPOにまつわる夢と現実のギャップにとまどう経営者が意外と多いのです。
この連載では、多くの関係者が口を閉じる“IPOの実像”をお伝えします。後悔しないために、あるいは、そもそも自分や自社はIPOに向いているのか。その判断材料にしていただければと思います。虚実を知り、本当のことを理解したうえでチャレンジすれば、きっと実りはより多くなるはず。第1回は「IPOとおカネ」についてです。最初に結論を言っておきましょう。経営者にとってIPOは儲かりません。
持ち株を売るに売れない創業者
一夜にして巨額の富を手中にする―。IPOにはこんな夢があります。フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグさんは、2012年の同社のIPOで1兆円以上の資産を得たとされています。でも、この資産はキャッシュではありません。あくまでも「持ち株数×株価」で弾き出された資産価値です。
IPO時、創業オーナーは持ち株をそれほど多く売れません。大量に売ろうとしたら証券会社や投資家が大きな圧をかけ、断念させられるでしょう。創業者利益とは、その大部分は絵に描いた餅。キャッシュではなく、バーチャルな資産なのです。
ただし、上場時に、持ち株の5~10%くらいは売却できます。上場時の時価総額が20億円くらいだった場合、1億円から2億円程度は現金化できる可能性が高い。一般のサラリーマンからすれば大金ですけど、苦労を重ねて会社をIPOに導いた報酬が1億円程度では、はっきり言って安いですよね。
なぜ、その程度しか売却できないのか。なぜ、もっとたくさん売却できないのか。たとえば20%以上もの大量の持ち株を創業オーナーが売却しようとしたら「この経営者は自社の経営から手を引こうと思っている」あるいは「この経営者は自社の成長性を悲観的に考えている」と投資家から見なされ、自社の株価に悪影響を与える可能性が高いからです。
本当のところはそんなつもりはないのだとしても、高い確率で恰好の売り材料にされるでしょう。売りが増え、株価が下落し、第三者割当増資などのファイナンス計画が狂い、十分な成長資金を確保できないため成長戦略の達成が危ぶまれ、そのため、さらに株価が下がって…。こんな負の無限ループに陥る最悪のシナリオすら考えられます。
マザーズやJASDAQなどの新興市場に上場するベンチャー企業の場合、創業オーナーの一挙手一投足は市場から厳しくチェックされます。創業オーナーの経営手腕次第で業績が大きく左右されることが多いからです。ですから、IPOにまで導いた有能な創業オーナーが自社株を大量に売却しようとする裏には、どんな事情があるのか? 市場は敏感に反応します。真偽不明な噂や観測でも、市場という“魔物”は株価を左右する情報には飛びつきます。
逆に、なぜ5~10%程度なら売却できるのか。意外かもしれませんが、そこには合理的な根拠やルールはありません。過去の事例と照らし合わせると、その程度の持ち株売却なら問題にならない。そんな経験則による相場観です。なんとなしの“市場の空気”のようなものです。
バイアウトの方が儲かります
市場のチェックは、経営者の給与にもおよびます。上場・非上場を合わせた社長の平均年収は3,000万円程度。ベンチャー企業の場合、2,000万円前後とされます。上場企業のなかには数億円の役員報酬を得ている経営者もいますが、それは例外。上場企業の社長の平均年収も2,000~3,000万円のレンジでしょう。
にもかかわらず、平均を大きく上回る高額報酬を得ようすれば、市場はその妥当性についての説明責任を果たすことを求めます。交際費も同じ。社長はモノ入り。そんな理屈は通用しません。投資家たちは具体的かつ明確な説明を求めます。
非上場のときは創業者の一存で、ある程度、報酬額や交際費を自由にできたとしても、上場したとたんに不自由になります。株主や投資家からさまざまなケチをつけられ、「もっと業績は上がらないのか」「もっと利益を出せないのか」。そんな文句を言われることを甘受しなければいけません。なぜなら、上場企業は株主のものだから。
上場企業になる、つまりパブリックカンパニーになるというのは、こういうことなんです。
それでいて手元に残るのは、売るに売れないバーチャルな株資産と1~2億円程度のキャッシュ。正直、割が合わないと思います。2,000万円、3,000万円という年収も、上場企業の経営者になれば付き合いも広がるので、カツカツの範囲でしょう。
“それじゃあ上場する意味なんてないよね”―。こう思った経営者は、IPO向きではないと思います。バイアウトをおすすめします。儲かる、儲からないで言うと、バイアウトの方が確実にキャッシュリッチになれます。持ち株をすべて売却し、現金化できるわけですから、時価総額の評価額が20億円だとすれば(自身が100%株主だった場合)その20億円をまるまるキャッシュインできます。
では、上場に意味はないのか、というと、そんなことはありません。“事業LOVE”な経営者には大きな意味と意義があります。
「本当に上場したいんですか」。IPO関係者は必ず、上場したいと言う経営者にこんな質問を何度も投げかけます。その質問の意味する“ホント”のところは、自分の資産形成ではなく、事業成長を優先しているんですか、という意味。上場しても、短期的には経営者個人はそれほどキャッシュリッチにはなれません。しかし、事業は一桁・二桁のスケールで急成長します。
それでも上場すれば「景色は変わる」
どういうことか、説明しましょう。
非上場企業が取引するお客さんの大部分は非上場企業です。そうした場合、一枚いちまいの売上伝票の単価は10万円単位でしょう。しかし、マザーズに上場したとたん、個別の伝票の金額は100万円単位になります。自社のお客さんもマザーズ上場企業になるからです。さらに、1部・2部と階段を昇っていくにしたがって単価が一桁増え、1部に昇格したときは1億円単位になっているでしょう。
企業ステージが上がるごとに、お付き合いする顧客企業のビジネス規模が大きくなり、事業の物差しがスケールアップします。マザーズに上場した企業は非上場企業と熱心につき合いたいとは思わないでしょう。マザーズ上場企業とビジネスパートナーになるためには、自社をマザーズに上場させることが、いちばんの近道です。
これが、よく言われる「上場したら景色が変わる」という言葉の本当の意味。会社を高速かつ効率よく成長させるには、IPOは非常に優れた手段なのです。
IPOの三大メリットとして「いい人材を獲得できる」「会社の信用力が上がる」「知名度が上がる」。こんなことが挙げられます。でも、それは後付けの結果論。放っておいても上場すれば自然とそうなります。最大にして、経営者が求めるべき唯一のIPOの目的は、会社を飛躍的な成長に導くこと。この一点しかありません。
人材も信用力も知名度も、それは上場すれば、自ずと後からついてきます。ただし、上場したからといって、会社が飛躍するわけではありません。IPOは入場券に過ぎないからです。
IPOは、上場企業とお付き合いできるフィールドに入場できるチケット。フィールドのなかでは厳しく、激しい競争があります。しかし、入場券がなければ「景色が変わる」フィールドには、いつまでたっても入場できません。高速で効率的に自社を飛躍させることが可能になる。これが上場企業と非上場企業を決定的に分ける違いです。
こんなご褒美もあります。上場を経験したある社長は「経営者ってホメられることがほとんどない仕事だけど、IPOを実現したときは、いろんな人から『すごいね』『やったね』と言われました。これまで、いろんな苦労をしましたが、IPOをしたことで報われた気持ちになりました」。まさに、本音の気持ちでしょう。
もちろん、上場後に会社を成長させ、時価総額を大きくすることで、キャッシュの面でも創業オーナーは報われます。第三者割当増資など、株主が変動するタイミングで、その都度、ある程度の持ち株を売却できます。業績を上げ、株価を上げることで、まずは時価総額100億円で5億円のキャッシュインを目指す。最初の目標としては、それが投資家も創業者もハッピーになれるベストなラインなのでは。そう思います。
IPOするなら、創業者利益に大きな期待はしない方がいいでしょう。でも、事業が好きで、事業をもっと拡大、成長させたい。こんな事業欲に取りつかれている経営者は、是非、IPOを目指してください。会社はもちろん、経営者としても高速かつ高効率で飛躍的な成長を遂げることができるはずですから。