「プロセス評価」に惑わされるな
社員の給与や昇進を決める根拠である人事評価。みなさんの会社では、どんなやり方をしていますか? さすがに「評価項目や基準はなく、ただただ社長の独断で人事評価をしている」。こうした“昭和のワンマン社長”さながらの、方法と言えるかどうかも定かではないやり方で人事評価をしている会社は少数派になりつつあります。
一方で、「人事評価は公明正大に」「透明で、納得感を高くする」という発想で“プロセス評価”を取り入れる会社が増えています。
じつはこれは悪しき風潮、危険な傾向です。なぜなら、人事評価は結果だけで行うべきだからです。プロセス評価の「見えない努力やガンバリをくみ取る」、といった主張を真に受けていると非常に危険です。
繰り返しますが、人事評価は目標を達成できたのかできなかったのか、どれだけ目標を上回ることができたのか、下回ってしまったのか。その結果だけで行わなければなりません。
その理由を説明しましょう。
結果での評価こそ、平等な評価となる。
「プロセスで評価する事はしてはいけない」と聞くと、少し冷たく感じる方もおられるでしょう。
そこで、まず、”プロセス”の定義を整えておくと、例えば
「誰よりも一生懸命努力している」「最後まで粘り強く取り組んでいる」「積極的に情報収集を行い、スキル向上に取り組んだ」というようなもの。
事実というよりは、それぞれの感覚で捉えた内容で、基準が曖昧で、数値で表すことができない、又は○×の評価ができない、何かしらの結果が出るまでのプロセスの事を指します。
これらの特徴は、個人的見解や感情が入り込みやすいという事です。
例えば、以下の2名を比較してみてください。
① いつも定時で退社する売上250万/月のAさん
② 遅くまで残り、提案書作成や積極的に質問に来る100万/月のBさん
プロセス評価を入れると、上記2名に差が無い、もしくはBさんの評点が高くなる可能性さえあります。
しかしながら、Bさんの行動が上司の認識できる範囲だけだったのであり、本当は、Aさんも、知人を訪問したり、人知れずロープレを行っていたかもしれません。つまり、この上記の事例でBさんが頑張っていると考えることも個人的見解の域を出ていないのです。
そして、このような状態では上司に良いプロセスをみせることが良い評価を獲得するために必要と認識し、結果にこだわることがなくなってしまうのです。
個人的見解で評価される事が暖かい職場でしょうか?決してそのような事はありません。結果=客観的事実に基づき評価が行われることこそが、働く人にとって、真に働きやすい環境になるのです。
それでも経過で評価したい!?
会社は世の中から一体何を根拠に評価されているのでしょうか。製品やサービスなどの会社のアウトプット、つまり「結果」で評価されています。プロセスの頑張りやその会社の社内での評判なんか関係ありません。結果がすべて、なのです。
ところで、会社の結果とは従業員の結果の集合体です。それなのに人事評価で「結果はいまいちだけど、プロセスがよかったから」という理由で会社の利益配分、つまり給与を多くしたり昇進させたりすると、その人よりも結果を出した誰かが割を食います。つまり結果を出したのに正しく評価されないことになってしまいます。
これほど不透明で、納得性が低く、個人の頑張りが認められない、結果を出した社員のヤル気を奪う事があっていいわけがありません。結果よりもプロセスに躍起になる社員だらけになったら、会社はどうなってしまいますか?
ただし、結果のみで評価する場合、上司と部下の双方から見て“できたかどうか”に認識の違いが出ない評価項目を設定しなければいけません。営業部だったら月次の売上目標の金額、管理部だったら支払い処理の確実性や「〇月〇日までに支払い完了する」といった、達成・未達を計測できる具体的な項目を設定することです。
結果の評価が社員のヤル気を引き出す
人事評価に主観を入れることを「鉛筆を舐める」などと表現することがありますが、もう、やめませんか。プロセス評価は、「鉛筆を舐める」ことを制度化、仕組化してしまうことです。だから危険なのです。
ステップを踏みながら人材を着実に成長させていくためにも、人事評価の基準は結果にこだわるべき。それこそが人事評価の客観性・納得性・透明性を担保し、社員をヤル気にさせ、能力を向上させるのです。