互いを「どう活かすか」
―まず、小笹会長と坂下社長には、どのような役割分担があるのですか。
会長は先駆者であり、カリスマ性が武器の孤高のリーダー、社員をお互いの向上のためにどう競い合わせたら良いかをすぐに察知する能力があり、奮起させるための焚付け役を担ってくれています。
それに対し私は、事業戦略立案はもちろんのこと、組織の中に入り込み、内側から社員の個性を見い出しながら組織の横の連結を強め改革や事業の促進を図る、共創を目指した、監督のような存在です。そんなそれぞれの強みを活かした役割分担が自然にできてきたように思います。
私自身が、小笹が持つ思想や理論に対する一番の共感者でもありますので、それをリンクアンドモチベーションという会社でまず試して結果を出し、顧客でもその効果を実証しています。会長はどんな人にもわかりやすい言葉で、我々が目指す事業体系を世の中に発信する力があり、私はそれを顧客企業のニーズを越えた願望の部分と接続します。
思想というものは下手をするとただのキレイごとになってしまうので、「こう使えば実際にこのような成果が出る」という事実を内部で証明し、外でも実証する、といった「言行一致の経営」が、結果的に顧客企業の発展に繋がってきたように感じています。
―理想と現状。葛藤も多いと思います。
会長が掲げる理想の高みと実際に現状でできるのはどこまでなのかを把握することがとても重要になってきます。経営判断において「これはやり過ぎ」なのか「あえて踏み込むべき」なのかを常に冷静に判断し、その頃合いを見計らうのが私の一番の腕の見せ所だと思います。理想を追い求めるばかりでも現実を見失ってしまいますし、現状にばかり捕らわれても革新的一歩を踏み出すことができません。
最終的に折り合いをつけられるのは、シンプルな理由で、理念を共有しているからです。「こうありたい」と思う理想がある訳ですね、例えば安くモノを売ることに喜びを感じている人がいれば、逆に高くても価値があるものを売ることに使命感を持っている人もいます。我々は奥深い部分でどういうことが自分たちの真の喜びなのか、世の中にどのように評価されたいのかを理解し合っていると思います。
創業は、4人で構想し7人でのスタートでした。まだ売上も利益もない時から会長は事務所を銀座に選ぶという高い投資をするわけです。何を成し遂げたいかが理解できていなかったら、「なんでそんな投資をするんだ」となるでしょう。セミナーもできるだけ費用を抑えた安い場所でやろうとか、つい安価な方に流れてしまいそうなものですよね。
でも我々のブランド、ありたい姿の観点から考えると、やせ我慢をしても基準を下げてはいけない。そういった理想を実現させるための価値基準の理解が当時からあったように感じます。
東京湾大華火祭の逸話
―リンクアンドモチベーション設立以前のリクルート時代、おふたりは上司・部下の関係でしたね。“小笹芳央”という人間の本質がつかめたと思ったのはいつごろですか。リクルート時代からですか。
いや、ウーン。そんなことはないですね。「小笹さんってこんな人なんだな」と感じたエピソードがあります。「社員やその家族の懇親を兼ねて」といって会社設立1年目に花火鑑賞会を企画したんです。東京湾大華火大会だったかな。設立1年目の7月20日頃だったと思います。
当時会長は湾岸エリアのタワーマンションに住んでいて、そこから大迫力の打ち上げ花火が観られるんですよ。まだ社員数も少なくて全員が会長宅に入れる規模でした。でも、2年目は社員数が50名弱になっていたので、全員は家に入れない、すると彼はたった1日の花火大会のために広い部屋に引っ越したんです。あとで聞いたんですが、一ヶ月の家賃が150万円くらいしたそうです。その前は40万円くらいだったので約4倍。
もっと言うと、「窓を背にして食事をしている人は花火の様子が見えないから」という理由で、特注工事で壁に大きな鏡を貼ったりしていましたからね。正直「この人、ちょっとおかしいんじゃないか」と思いました(笑)。
でも、それは社員を喜ばせたいという純粋な彼の欲求なんです。人を喜ばせる仕掛けを考えるのがこの人の原動力なんだなと思いました。ちなみに、1ヵ月後には元の家にまた引っ越したそうです(笑)。
こんなに時間が経った今でもこのエピソードを昨日のことのように話せるのは、それだけ強烈に覚えているからなんです。中途半端にやったことは結局何も残らない。「こうだ!」と決めたことには極端にでも投資する、それは起業当初から今日まで一貫したものがあります。
例えば我が社のロゴマークも最初から有名デザイナーの方に頼んで300万円もかけて作りました。まだ事業が形になっていないうちからそういう必要な投資にはとことん大胆な姿勢で臨んできました。
創業者のこだわりの尊重
―ぶつかり合うことはなかったんですか。
ほとんど無かったですね。私は現場を見ている感覚から「この計画には勝算が無い」とはっきり会長(当時社長)の構想に対して乗り気じゃない発言をしたことがあるんです。会長はこうと決めたらどんどん突き進みたいタイプですので、その時はそんな私の考えに納得できない感じが痛いほど伝わりました。でも、私は意見を曲げずに実行しませんでした。そうしているうちになぜそういう判断をしたのかを会長の方から理解してくれたように思います。
―だけど、創業経営者に反対意見をぶつけるのは勇気が必要なのでは(笑)。
そうですね(笑)。リーマンショックの前に企業向けの会員制サービスの企画がありまして、「とにかく沢山の会社に加入して貰いたい」というのが会長(当時社長)の意志でしたが、私は数ではなく、当社の思想に十分に共感してくれている企業に、質にこだわった丁寧なサービスを届けたいという思いがあり、最初は反対していました。人材採用同様に、共感性を大事にして質にこだわった会員組織にした方が初速は遅くても後が早いと思っていたからです。
しかし、「企業として拡大することは結果的に顧客の利益にも繋がる」そんな会長の気迫に負けてそのキャンペーンを行うことになりました。正直100パーセント納得はしていなかったものの、入念な戦略プランを作り実行したところ、会員企業数は500社近くになりました。数ヶ月で200社もの会員を増やし、計画的には大成功だったかもしれませんが、タイミング悪くその後リーマンショックが起こり半分以上の企業が退会していきました。
このあたりから会長は私の現場感やマーケット分析に対して一定の信頼は置いてくれるようになったのではないでしょうか。意見が異なる場面があったとしても、様々な角度からお互いの意思を尊重できる道を探ることで、最終的に相互理解に繋がって来たのではないかと思います。
―目指す理想やあるべき姿が共有できているから、ぶつかり合う場面でも信頼関係が揺らぐことはないんですね。
そうですね。創業トップは当社の会長に限らず新しい事業をやりたくなる人が多いようです。革新的でワクワクするようなことが好きだし、信長タイプというか、人を惹き付ける魅力とパワーがありますよね。だからこそ、創業トップは新しい事業をどんどん開拓していきたい、ある意味欲張りな人間とも言えます。
それに一度始めたことに関して後戻りするのを良しとしない傾向があるので、心の底では不安や迷いがあってもそれを認めることが難しい場合もあります。そんな時はいち早くそれを察知し本筋に戻すサポートをすることが大事だと思います。
―創業者は唯一無二の存在です。創業者の下で働く難しさはありませんか。
創業トップとはいえ、会社全体から見ればレベルの差はあれど一人の人間。一戦力であることに変わりありません。立場が上か下かということではなく、持っている特性をどのように活かすか、お互いの役割分担の中でマネジメントすることが大切だと思います。遠慮をしたり「本当はこうなのに」と伝えられない状態は、考えがあったとしても無いのと等しい。会社の軸はトップにあるとしても、周囲がどう補完するかがとても重要です。自分の役割の中で何をどう伝えることが会社にとって良いことなのかを、よく考えることが必要ですね。
経営No.2の見つけ方・育て方
―創業当時のお話しをうかがいたいのですが、なぜ小笹さんとリンクアンドモチベーションに参画されたのですか。
私の父は中小企業の社長で、弟2人もまったく別会社をつくって経営者をやっているので、家族全員が社長業な訳です。ですので、帰郷するたびに、次の日の仕事のために帰る私をみんながバカにしてきたりして、「サラリーマンの何が悪いんだよ。」って思いましたよね(笑)。
だからではありませんが、「世の中が真に必要としているまだ誰も作ったことのない会社を作って社会に必要とされたい。その証として上場企業になることは必然だ、そこを目指そう!」そんな想いが出来上がっていきました。
また、リンクアンドモチベーション設立直前のリクルート時代のこと。私は当時小笹の部下でしたが、当時彼が率いていた部署の幹部メンバー数名が一気に辞める、ということがありました。その時、一人ひとりに面談があり、「おまえ、どうするんだ」と聞かれました。私は上司である小笹に対する感謝や期待を伝え、「こういうことをやってみたい」と私なりのビジョンを話したんです。
そしたら「それいいね」と心から共感してくれ、これまでの組織のリーダーとして抱えていた葛藤から解放されたように目頭を熱くしながら「よし、分かった。やるか!」と言ってくれました。驚いた事に、次の日の朝にはもう事業計画書ができていました。「これは真似できない、すごい人だな」と思いましたね。その時の事業計画書を今でも大事に持っていますが、リンクアンドモチベーションの前身としてビジネスモデルの土台になりました。
当時の自分の能力では夢の実現までに最低でも10年以上はかかるだろうと覚悟していましたが、これによりその日が訪れるのがぐっと近づいた気がしました。私が持っていない能力を彼は完璧に持っていました。会長の考えを私が顧客に届ける。IRや採用のプレゼン、とにかく発信するものに関して、彼は最強ですから。タイプが違ったことが、逆に良かったと思っています。
―キャラクターの違いをもう少し詳しく教えていただけますか。
例えて言うなら、登る山を選んで「この山の山頂を目指すぞ」というのが会長で、どのルートから行ったらみんなが無事辿り着けるかを考えるのが私、という感じでしょうか。頂上は一つですが、登り方は沢山あり、それを示すことで社員たちはアクシデントに見舞われた時でも臨機応変に対応し、ブレる事なく頂上を目指すことができているのではないかと思っています。会長からは閃きや勢いといったワクワク感を、私からは成長や貢献といった安心感を感じてくれている気がします。
―そうした役割分担ができるNo.2というのはどのように生まれてくるんでしょうか。勝手に自分で育つのか、No.1が育てるものなのか。どうでしょう。
役割というのは自然に感じ取るものじゃないでしょうか。「俺はこっちをやった方がいいな」とか「こういう役割があった方が全体にとって良いだろう」といった具合に。例えばサッカーでも全員がフォワードでは試合に勝てませんよね。意識して自分の役割を考え、同じ目標を見据えて行動する。行き過ぎたら後ろからサポートする必要があるし、停滞していたら自分が思いっきり前に進まなければならない場合もあります。
―No.2がいない、どうやったら育つんだろうと悩んでいる経営者は少なくありません。その理由はなんだと思われますか?
自己分析が足りないんじゃないでしょうか。自分の強みや弱みがはっきりわかっていないんじゃないかなと思います。自分と同じものを他者に求めても、いるわけないじゃないですか(笑)。むしろ、自分が好きな要素を持っている人を選ぶとうまくいかないように思います。才と徳の話があります。ベンチャー企業はどちらかというと才の人が立ち上げて、大手になると徳が必要になってくる。才と才だとうまくいかなかったりするんですよね。
―自分と似ているNo.2が活躍した時、トップは妬む、と聞いたことがあります。
ライバルになるわけですからね。そうなってもおかしくはないですよね。それに、サッカーの例でも触れましたが、トランプのゲームでも、同じ種類のカードばかり持っていては勝てませんよね。それと同じで、自分と同じ性質の人材は、強みだけではなく弱点までもが似通っているので、組織としてみると強靭とは言えない。異質な人材の組み合わせだからこそ、強みが増し弱点を補い合えます。「あとどんなカードを手札に持てばゲームに勝てるんだろう」と逆算して考えてNo.2を選んでも良いのでは?と思います。
優秀か優秀でないかで片付けるのではなく、具体的に何が優秀で何が優秀ではないのか。メンバーを見渡せば、自分の不足している要素に関して自分より長けている人材がいるはずなんです。自分をわかっていないから、足りないパズルのピースがわからないんじゃないでしょうか。そこの分析をしっかりすれば、自社の中でも必ず求めていたピースは見つかるものだと思います。No.2は一人でなくてもいいんです。複数いてもいいと思います。
―No.2はひとりでなくてもいいんですね。もっと極端に、社外にNo.2を求めてもいいでしょうか?
それは場合によってですね。組織ですから共通目的に対する共感が大事で、社外の方だとスキルや知識で長けている方もいらっしゃいますが、パートナーとしてふさわしいかはわからないですからね。社外役員として別の観点からの気づきの訴求としては、非常にありがたいですが。
トップに負けないくらいの哲学を持て
―その他にNo.2の条件はありますか。
トップに負けない哲学はそれなりに持っていないといけません。トップはパワフルに動きますから、それを受け止められるかというのは大事です。私も腹をくくるタイミングがありました。
当社は急成長してきたので攻めに強かった。しかし、リーマンショックの時には、世の中全体がそうでしたが、伸びて当たり前の状態から売上が前年を割り、利益が出ない状況になりました。当時、会長は社長として非常に葛藤があったわけです。初めて負けを知るみたいな。既に上場していましたので、そのプレッシャーは半端じゃなかったと思います。
リーマンショックによって世界中の経済活動が、突然フリーズしました。この危急存亡を乗り切るため、多くの企業はスリム化を推進、当社もいろんなスリム化施策を会長(当時社長)の素早い判断で進めていきました。しかし、その反動が組織の疲弊であったり、いろんな部分に出てくるわけです。
当時、私は西日本の担当役員として大阪にいて、(スリム化が進む)この状態が続くと「リンクアンドモチベーションを立ち上げた意味がなくなってしまう」と思いました。
そして、私達役員にも当然、そういう(スリム化の)要請が来ました。「君達も報酬をカットし、もろもろ会社のスリム化を徹底的に図ってくれ」と。確かに理屈ではわかるんです。報酬カットは良いとしても、私は自分達の理念や存在価値まで薄れるようでどうしても嫌でした。そうすると答えはひとつしかないんです。それは、この状態でも業績を上げること。そこで何をやったかというと、リーマンショックでも好業績を上げている会社の秘訣を研究したんです。
―その研究の結果、何がわかりましたか。
本質的なニーズに対してのアプローチレベルが全然違うということがわかりました。ネガティブに言えば、うちのサービスは拡大成長の反動もあり、それが薄まっていたかもしれない。じゃあ、顧客の本質的ニーズをもっともっと追求しよう。組織状態を把握する診断だけでなく、「モチベーションサーベイ(組織診断ツール)」と業績のリンクにフォーカスし、モチベーションが上がれば業績が上がるんだということを証明しよう。そうすれば、その価値に経営者は投資してくれるはずだ。そう確信しました。
そこで、サーベイを集計しているデータベース部門に行って、会社の業績とモチベーションの相関を分析して形にするよう頼みました。すると、それらに高い相関性が読み取れました。そして、サーベイ結果を相対比較できるようにインデックス化し、サーベイ実施企業の中から、そのスコアの高い企業を表彰する式典を始めたんです。
当時東京を含めた旗振りは難しかったので、まず大阪でやろうということで、西日本の「ベストモチベーションカンパニーアワード」を始め、3年目から全国を対象に東京開催でやることになりました。今の「ベストモチベーションカンパニーアワード」は当時の進化版で、企業のモチベーションカンパニー創りへの指針として定着しています。
「ベストモチベーションカンパニーアワード」をスタートさせ、「我々がやっていることは、ちゃんと業績にもつながる」「経営者やその会社の成長サポートになれるんだ」という確信を得ることができました。そして、それは私の自信にもなりました。それまでも顧客へのサーベイ導入はかなりやってはきたんですが、そこまで追求していなかったんですね。効果をきちんと証明するところまで行ってなかったんです。これを掘り下げることが、社員からも顧客成果(貢献)の迷いを拭い去り、理念の追求にもつながると確信できました。
時にはナイフの刃先のような緊張感も必要
―スリム化という会社が進んでいる方向とは逆のことをやったんですね。よく許されましたね。
大変申し上げにくい話ですが、会長(当時社長)と一緒に新大阪から東京へ帰ってくる時にこんな会話をしたんです。「苦しく悔しいが、リストラは避けられない。頼むぞ」と会長、それに対して「どうしてもやりたくない事もあります」と私は言ったんです。会長も本心ではそうしたくないんです。
それでも私は「もし自分のやり方を追求してダメだったら、私が辞めます」とつい言っちゃったんです。軽い気持ちでというか、「そういう覚悟です」という気持ちを素直に話したんです。
そしたら会長からずーっと睨まれて。京都あたりから新横浜まで無言ですよ。あの時は正直「やばい」と思いました。会社の方針はリストラの推進です。その意向に対して私はどうしても添えなかったんです。だから何としても業績を出すという選択をしたんです。もし業績が上がるのが間に合わなかったら私は辞めますと。
会長も私がまさかそんな返答をするとは思わなかったんでしょう。2人横並びで新幹線の座席に座り、会長は私を無言で睨み続け、私は会長の方を向かずに窓の外の景色を見ていました。夜だったんで、なにも見えなくて、ガラスに反射した会長の顔も見ずに黙ったまま(苦笑)。新横浜のアナウンスがあった時にようやく、こんな気まずい空気じゃダメだろうと、「そろそろですね」って。どっちが切り出したのかは忘れちゃいましたけど(笑)。
この時は一番重かったですね。自分が会社の方針と違うことをやろうとしているわけですから、自分の中ではこれで業績が出なかったら本当に辞めるつもりでした。
経営は、山の高さとすそ野の広さ
―振り返って、リンクアンドモチベーションから独立しようと考えたことはなかったんですか。
いろいろ誘いはありましたけど、創業時、会長が私の話に共感してくれたことと、自分都合が強い人間にはなりたくないという思いがあったので「独立しよう」「他社に行こう」という気持ちになったことはありませんでしたね。自分たちがいなくなっても、会社と社会に理念は残るようにしたい。自分がこの事業をやって必要以上にストレスがあるなら別ですけど、健全なストレス以外にそれは無く、どんどん形になっていきましたし、2013年に私が社長に就任してからさらにその信念はより強くなっています。
今後も引き続き、「質」を上げたい。私は富士山のように高さ(質の向上)を目指しています。商品サービス力、人材力、利益率、生産性、そういうものを全て含めてクオリティを高めていくのが、私が追求する質の経営です。
会長にはチャレンジングに広さ(大きさ)を担って欲しい。よく私が例に出すのが、群馬県出身なので赤城山。ご存知の方は少ないですが、赤城山は裾野が広く、横に長いんです。土の量は富士山と同じくらいだといわれています。
赤城山との違いは、富士山は美しく印象に残るんですよね。会社も美しくなきゃダメだと思っています。美しくてレベルが高いのがリンクアンドモチベーションなんだと。そこに関しては徹底的に指標化しながら、妥協せず、ブレずに、それこそ魂を込めて取り組んでいます。
―社長指名の時に、会長から言われた言葉はありましたか。
指名された際、私は「もう自分の人生ではなく、自分を捨ててやります」という発言をしたんです。経営は役割ですから、個人の話ではなく役割としてやらなくちゃいけない。だから自分を捨てるんだと。あとで会長から「会社のため、グループのために役割に徹する覚悟を感じたのが嬉しかった」と言われました。
―逆に社長が会長に期待していることはなんですか。
先ほどの強みのところですかね。もちろん私が少しでも代替できるようにならなければいけないし、そういう社員をつくらないといけません。安心して見ていてもらえるようにしたいと思うんです。会長は「採用は最後まで俺がこだわってやる」と言ってますけど、究極そのへんもどこかで手を離せるくらいになるといいなということですかね(笑)。
―日常業務を手離していくことが、創業者からの坂下さんに対する評価とも言えますね。安心して任せられるという。一方で任せられるほど、No.1へのホウレンソウをより大事にするNo.2がいます。坂下さんはいかがですか。
私は会長に申し訳ないくらい、個別の報告はしていないですね。任されてやっていますから。進捗は会社として見えるようになっていますし、「あれどうなん?」ってたまに聞かれたら答えますが、「こうやれ」「ああやれ」とは言われないし、私もいちいち会長からの指示を仰ぐようなことはしていません。上場企業なので業績は視覚化できているし、計画に沿ってモニタリングしていますから。
よっぽど気になることは同席する際に話していますけど。2人きりで個別に相談して意思決定することはまず無いです。それをすると密室的な印象になりますよね。変にワンマンな体制を促進しているように見えても良くないし、何かあればきちんと役員会で決めるようにしています。
―幹部作りに悩んでいるベンチャー経営者へのメッセージを聞かせてください。
まずは謙虚に自分自身も含め幹部社員の客観分析をしてください。互いの強み、弱みを知ることで、メンバーが補ってくれる部分が見えてきますし、感謝の気持ちも沸いてきます。そのために当社では、顧客に提供しているサーベイを積極的に社員に実施し、多面評価による育成をはかっています。ちなみに会長は当社ではカリスマですのでやらないですけどね(笑)。
取材・構成 : INOUZTimes編集部 大沼雄次(協力:WEST PLAN)