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嗚呼!ピリ辛どころではない私のカレー人生

CoCo壱番屋創業者 宗次德二氏が、カレーを食べながら語ってくれたこと
INOUZTimes編集部
嗚呼!ピリ辛どころではない私のカレー人生

「2017年問題」 団塊世代である創業経営者の多くが70歳代を迎える年。6割以上の経営者はいまでも「後継者不在」と言い切る。国家課題のひとつとして取り上げられて久しい「日本の事業承継問題」。

銀行よろしく様々な世代交代施策が全国各地で繰り広げられている中、INOUZTimesはひとりのロールモデルに着目した。

戦後、日本の高度成長期が幕を閉じた1974年、夫婦で喫茶店を開業し、カレー専門店として全国展開、海外進出、そして上場。経営者として50代半ばに「後継者が育った」と経営から身を引き、その13年後の2015年にハウス食品への株式譲渡。現在は、自らの感謝を形にするための社会貢献活動に勤しむ日々。カレーハウスCoCo壱番屋創業者“宗次德二“が語った過酷な幼少期、経営論、株式売却、次代を担う経営者へのメッセージ。

編集部

宗次さん、本日はよろしくお願いします。昨年2015年12月にハウス食品さんへ大量株式を譲渡された件は驚きました。創業者として華麗なる引き際とも言われました。

宗次德二(以下、宗次)

カレーだけに華麗だったかな。

編集部

ありがとうございます。宗次さんは幼い頃に壮絶な環境で育ち、25歳で喫茶「バッカス」を開業、29歳で「カレーハウスCoCo壱番屋」(以下、ココイチ)を創業されました。現在は、スポーツや芸術、福祉などの振興を目的にイエロー・エンジェルの理事長として様々な活動をされています。まず、宗次さんといえば、いつもダジャレを挟まれますが、今日は、そのあたりの理由からお話しいただけますか。

宗次

私のギャグは滑りっぱなしですよ。それが狙いでもあるんだけどね。どうだ、思い知ったかって。いつも自虐的。

編集部

いつも強い印象として残ります。

宗次

そう。思い知ったか、ってさ。

編集部

今日は、昔の思い出を深く思い出していただけるように、近所のココイチさんでカレー弁当を買ってきました。ぜひ食べながらお話を伺えればと思います。

宗次

ぬるいんじゃない?それ。ぬるいと胸やけするんだよね。まあ、食べましょうか。
そうそう、私は「野菜カレーのイカリングトッピングのビーフソース」がいつもの定番。本当に美味しい。

次は他のものにするぞ!と思っていても、これになるの、私。
辛さに関しては、昔に一度2辛(にから)を食べて、もう困ったことがあった。鼻水と汗が止まらなくて。

それが最初で最後。甘口にウスターソースをかけるというマイブームが一時あったけどね。
やっぱり美味しいね、多少ぬるいけど。ココイチ弁当はぬるい時はレンジで温めると、ぐっと美味しくなる。
ちなみに、カレー食べながら取材受けるのは難しいので、先に食べましょう。
いま流行りのカレーファーストで。

ひとり雑草を食べて過ごした

編集部

本当に美味しいです。

食べ終えたところで早速ですが、宗次さんは、少年時代から大変ご苦労をされていたとのことですが。

宗次

そうですね。1000円札とかほとんど見たことがなかった。

記憶の始まりが5歳ぐらいの岡山県玉野市。それはまさに夜逃げをして母親に手を引かれて川沿いの道路をとぼとぼと歩いてったのが人生の記憶のスタート。その母親も、ほどなくして父親に棒で叩かれた夜に家から消えて、日雇いの父親との生活。その前に、父親と母親の両方は商売に失敗して、彼は競輪に狂ってしまって。

小学校に上がる前から、私の日課は町のパチンコ屋さんに行って、父親のためにタバコの吸い殻を拾い集めて。それを、六畳一間の唯一の家具であるりんご箱の上に置いておくと、日雇いから帰ってきた父親がキセルに詰めて吸ってました。当時のパチンコ屋さんって、お客さんはみんな立ってパチンコをしていたので、その足をかき分けてお客さんが下に捨てたシケモクを拾う。それが日課。

当時の生活は、父親が日雇いで稼いだ200円くらいの日当と生活保護のお金。でも、そのお金の大半を競輪で使うという。15歳で父親が亡くなるまでずっとそういう生活が続きました。

食べるものがないときは道ばたの雑草を食べたり。食べられる雑草がある季節限定だけど。

家では洗濯やらも含めて、父親からの言いつけはちゃんと守った。守らないと、めちゃくちゃ叱られましたから。耐えたり我慢することに関して、必然的に覚えていったに近いです。

私が結果的に幸せだったなと思うのは、自分の生活環境はこういうもんなんだと思って、他の人をうらやましいとか思ったことがない。兄弟がほしいなっていうのは軽くちょっと思ったぐらい。他は、ほとんど思ったことはない。

その後、中学を卒業する時期になって、高校進学するか悩みました。働かないとやっていけないくらい貧乏だったので、高校に行かず働きたかった。でも、中学の先生に言われるまま、受験した名古屋市外の名古屋の高校に受かって、行くことになったんだけどね。そんな頃、父親が胃がんっていうことを宣告されて、入院すると母親との生活が始まりました。母親は小さい会社の賄婦の仕事をしていて、なんとか家賃が払える生活でした。電気代も払えたので、私の人生で電気が灯ったっていうのが15歳のこの時からです。

ようやく人生が安定してきたと思ったのだけど、高校に入学するというときに学校への提出書類で戸籍謄本の写しが必要っていうことで、自分で苦労して取りに行ってそれを見たら、自分の名前も誕生日も違っていた。その時、本当の親が違うっていうことがはっきりわかった。

編集部

その時までの人生で、親が違うということを全く感じていなかったんでしょうか。

宗次

昔から「お前、もらってきてやったんだ」はよく言われてましたけど、深刻には受け止めていなくて。でも結果、それまで親から言われていた誕生日と戸籍上の誕生日が違った。まあそういう人生です、子供の頃。

もともとは我が家のカレーです

編集部

高校を卒業された後、まず不動産会社に就職されました。

宗次

はい。もう卒業式の翌日には不動産の仲介業の会社に就職して、一生懸命に働きました。その後、21歳のときに現在の妻と出会い、23歳で結婚。それまでの5年で培った不動産の知識を携えて、24歳で独立しました。その後、25歳とのきに喫茶店「バッカス」を開業し、翌年には2号店として「浮野亭」をオープンさせました

素人が独立したわけですから、喫茶店も最初はうまくはいきませんでした。そこで耐えて、パンの耳を毎日食べるような生活は続いたけども、夫婦で一生懸命やり続けて、だんだん良くなっていきました。

小さい頃の経験が活きたんだと思います。例えば人に迷惑をかけたくないとか、人に喜ばれたいとか、休まなくても平気だとか、多くの人の期待に応えたいだとか、全部。だから、早朝から動き回ることもできるし、休みを取らなくても平気で。

編集部

喫茶店の頃に「カレー」を看板商品にされたとのことですが。

宗次

そうです。喫茶店の頃に、売上を大きくしようと中古車を1台買って出前をやりはじめて、そこにカレーが登場したんです。自分たちやアルバイトの子たちが食べても絶対においしいっていうことで。そのカレーも当時はレトルトカレーとか缶詰のカレーってたくさんあって、たしか20種類以上は試食したと思うのですが、自分達の口には、どれ1つ美味しいと思えるものがなかったんです。

実際、家でうちの奥さんが作っていたカレーが一番美味しくて、もうこれをお出ししようっていうことで登場したんです。だから、家庭のカレーです、元々は。そしたら、すごく売れて。

これだけ売れるんだったら、3軒目は喫茶店じゃなくて、カレーで行こうと。素人商法ですから、始めはとても苦労しましたが、心を込めてやり続ければ、上手くいくものです。数年後にはエリアを広げ、まずは京都に出して、ほどなくして東京にも出して。もう東京に出す以上は真似されてもしょうがない、積極的に展開していこうっていうことで。

一度も値下げしなかった経営

編集部

その東京進出が足掛かりになって全国展開のきっかけに?

宗次

そう。その広がりで、全国へっていうことで。1994年に出した300号店で全47都道府県すべてに出店しました。そして2004年に1,000店舗。創業時から「接客第一」を本当に大事にしてきたことが良かったんだと思います。これだけは譲らなかった。

それをないがしろにして、うちは安さでとか、他を売り物にして事業をやるっていうことが考えられないぐらい。そのおかげで、値下げも一度もすることなく、やってこれました。

25歳の時に作った標語が、「お客様 笑顔で迎え 心で拍手」です。それ以来いろんな言葉を書いてますが、これに勝るものはできない。ずっと強い気持ちでずっとやりましたから。今やっているイエロー・エンジェルの音楽ホールもそうです。ですから、ホールが開演する40~50分まえから表に立ってお出迎えもしています。

迷わずTOBに応じた

編集部

2015年12月にハウス食品さんに株式譲渡されました。なぜハウス食品さんだったのでしょうか。

宗次

それは喫茶店の時代に遡ります。当時、カレーをレトルトでも缶詰でもない、家で食べていたあのカレーをお出ししようと考えて、食品問屋さんを探し回って。

でも、その時はハウスさんのカレーを使おうって決めてなくて、いろんなメーカーさんのカレーをいろいろ煮込んで、そこにうちの奥さんのこだわりのスパイスを入れて仕上げて、それを食べてシンプルに一番おいしいと思うものでいこうって。結果、それがたまたまハウス食品さんだったんです。

だから、ココイチができる前からハウス食品さんの製品を使うようになって、わりと独自のカレーにしたんですが、数年後に、もっとココイチを大きく展開していきたいと思いまして。その際、ココイチ用のオリジナルスパイスのブレンドをハウスさんに作っていただいたんです。こちらの思い通りの。本当に協力的で。

だからずいぶん昔から、そういう信頼のパイプはどんどん年を追って太くなってきたんです。その信頼があったから、TOBにも躊躇なく応じました。

もちろん、信頼は前提の話であって、それだけではないです。ハウス食品さんのメーカーとしてのものづくり力とココイチの店舗展開力が手を組んだら、ヨーロッパとか中南米とかアジアとか、カレー文化をもっと世界に広げられると。強力タッグで。

元々が、ハウス食品さんに大量に株を持っていただいたのが10年以上前かな。当時、同族経営から非同族にしたほうがもろもろ経営上で有利に働くことがあるとアドバイスがあり、詳しく調べたら、なるほど確かに有利になると。

じゃあ、非同族にしようということで役員やらうちの身内の一部が持っていた300万株相当を分散しておくよりも、遠い未来、自分たちの時代じゃないときが来たらハウス食品さんに委ねようっていう気が少しあったので、株を持ってくださいって。

当時のハウス食品さんからは、「今は他の会社とも銀行さんとも持ち合い解消で努力しているので、全部は持てないです」っていうのを無理やり持ってもらって。そういうことが10年以上前にありました。

ココイチの経営は順風満帆でしたから、「何か問題があってハウス食品さんが大株主なんですか?」っていう声もちらほらあったんです。いや、そうじゃないんですと。でも、将来はハウス食品さんにやっていただこうと思ってのことですとも言えないわけで。こういう経緯なので、超友好的なTOBです。

これからの経営者へ

編集部

幼少期からココイチ引退までのお話を伺ってきましたが、現在はイエロー・エンジェルにおいて起業家支援などもされています。特に若手経営者の方へメッセージをいただけますか。

宗次

若手の経営者の方々ですか、そうですね。やっぱり何が何でも成功していただきたいですね。経営者の皆さんも夢や目標を描いて頑張っているんでしょうけれども、勝手に決めつけさせていただくと、まだ頑張りが足りないっていう経営者さん、意外にのんきな人がわりといますよね。自分のことも優先させたいと。

経営者になった以上は身を捧げるような人生を歩んでください、経営に。企業は経営者次第っていう言葉も外れではない。いい会社っていうのは、社会に認められ、地域に認められ、納税も期を追うごとに増やしてという、増収増益っていうのは、これはいい会社の一番目に来るような要件かもしれません。

そういう会社にしないと、社員さんも豊かにさせられないし、家族もそう。だから、業績をまず右肩上がりで順風満帆な経営をしてくださいよって。それさえすれば、ほとんどの問題は解決します。経営者のワークライフバランスは9対1です。会社に身を捧げて。

経営者って、元々自分が勝手に夢や目標を考えて、始めたものです。社員さんはそうじゃないからね。そこそこでいいっていう人だったり、色んな人がいて当然。社長がしっかりやらないと付いてきてくれる人の比率は少ないと思います。ついて行くふりはしてくれるんですが、内心、給料分以上は期待しないでくれって従業員がいるのも当然。

だから、やっぱり経営者は、仕事、仕事、仕事で、現場主義、お客様第一主義を貫く。経営者でいる限りはそれが一番の喜びであること。その情熱が無くなったり、次なる担い手が育ったら、潔く身を引く。

編集部

ありがとうございます。とても貴重なお話をいただきました。宗次さん、今日もこの後にイエロー・エンジェルの活動があるとのこと。どんな活動ですか?

宗次

イエロー・エンジェルは、夢に向かって頑張る方々に様々な支援をする活動です。創業支援やスポーツ、芸術などの文化振興、また福祉支援など、私たち夫婦の感謝を形にしたものです。

イエロー・エンジェルだけに、
いぇろいぇろえんじょ、していきますよ。

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