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私はリーマンショック・為替変動をわかっていたんです

ニトリ創業者が語る外部環境に変動に先手を打つ方法

株式会社ニトリホールディングス 代表取締役会長 似鳥 昭雄(にとり あきお)

INOUZTimes編集部
私はリーマンショック・為替変動をわかっていたんです

いまや全国に400店超を展開し、台湾・中国・米国に進出。成熟産業とされる家具小売り業界で連結売上高が国内業界トップの4,172億8,500万円に達する2015年2月期まで、じつに28期連続で増収増益。ニトリを一代で巨大チェーンに成長させたのが創業者の似鳥氏だ。その足跡は、起業時の苦境とその後の快進撃という鮮やかなツートンカラーに彩られている。「自殺する方法ばかりを考えていた」という“ダメ社長”は、なぜ“稀代の起業家”へと生まれ変わることができたのか。半世紀におよぶ経営者人生のなかで似鳥氏が培ってきた経営哲学を聞いた。

アメリカの「住宅バブル崩壊」を半年以上も前から見通すことができたワケ

―ニトリは2015年2月期まで増収増益を28期続けています。継続成長の要因はなんでしょう。

 外部環境の変化を予測し、先手を打ってきたからです。最近の例でいえば、2008年にリーマン・ショックがありましたね。私は住宅価格の暴落が起こる半年以上前にそれを感じとり、外貨をすべて売って新規出店や広告宣伝の資金としてプールしました。予測通り不況が到来。土地や建物の価格が下がると同時に出店攻勢をかけた。また財布のひもが固くなった消費者へ向けて、値下げキャンペーンを繰り返したのです。その結果、競合他社の不振を尻目に業績を大きく伸ばすことができました。

 それから2013年の日銀の異次元金融緩和で始まった円安も予測していました。ニトリの商品はインドネシアやベトナムで製造しているものが中心。1円の円安で経常利益が約15億円減ってしまう構造になっている。そこで事前に為替予約を活用し、リスクをヘッジ。それとグループをあげてのコスト削減努力で、利益を減らさずにすんだのです。

― 景気や為替の変動を的確に予測する方法を教えてください。

 トップ自らビジネスの最前線へ出向き、変化を感じとることです。私はリーマン・ブラザーズの破たんを予測したわけではないんです。世界経済を動かしている中枢である米国をひんぱんに訪れ、定点観測していた。そのなかで、2000年代はじめに住宅価格がどんどん上がっていることに気づき「これは必ず暴落する」と。

 こうした予測はトップにしかできない。社員たちはどうしても目の前の仕事に忙殺され、長期的な変化を見抜けない。経営者はロマンとビジョンをもっているから、つねにものごとを長い目で見ています。だから変化に気づける。もっとも、ロマンとビジョンをもっていなければ、たとえ経営者でも困難でしょう。10年後にどんなことを実現しているのか、売上高や利益の数字はどうなっているのか、どんな会社になっているのか。こうしたビジョンを語れないなら社長失格です。

これで会社経営者としてもダメだったら、もう死ぬしかないと考えたこともあります

― 外部環境の変化に対応する具体的な施策を聞かせてください。円安が進行するなかで、どうやってコストを削減したのでしょう。

 安い商品が見あたらないなら、自分たちでつくってしまおうと。ニトリは商品の企画・製造から物流・販売まで手がけています。たとえばソファーをベトナムの自社工場でつくっている。これをもっと上流工程から自前でやろうと。

 つまり、バネとウレタンを外部から調達してきてソファーに仕上げていたのを、鋼材を巻いてバネにするところから、合成樹脂をウレタンにするところからウチでやることにしたわけです。そうやって自前でやってみると、コスト削減の余地がたくさん見つかる。コストも下がり、ソファーの品質向上にもなるウレタンをつくることができました。

― そうした似鳥さんの行動力の源泉を教えてください。

「なにがなんでもあきらめない」という執念かもしれません。私は大学を卒業後、いったんは父親が経営するコンクリート会社に入社。でもうまくいかず、1年で辞めた。家具店を開業して出直そうとしたのですが、接客は苦手。店での切り盛りは妻にまかせ、自分は経に専念することに。サラリーマンもダメ、店主もダメ。これで会社経営者としてもダメだったら、もう死ぬしかない。

 事実、自殺を考えた時期もあったんです。まだロマンもビジョンもない、会社を設立した直後の28歳のころのこと。競合店が登場し、業績が急激に悪化してしまった。首をつる、高いところから飛び降りる、切腹する…。どんな方法で自殺しようか。そんなことばかり考えていました。

経営者はロマンとビジョンをもって、それを実現していくことだけ考えていればいい

―どうやってその苦境を脱出したのですか。

 ネガティブ発想をやめて、攻めに転じたのです。競合店を包囲するように出店して、相手を圧倒した。そんな発想の転換ができた原動力になったのが、ロマンでした。

 倒産寸前で思いつめていたとき、家具業界向けの米国ロサンゼルスへの視察ツアーがあると聞いた。「なにか危機を切り抜けるヒントがつかめるかもしれない」。わらをもつかむ心境で、親せきから借金して費用をねん出し、参加したんです。そこで先進国の住まいの豊かさを実感。「日本にこの豊かさを」というロマンを見つけることができた。それを果たすためには競合に負けるわけにはいかない。戦闘意欲がわいたのです。

 執念をもって、あきらめない。一手を打ってダメでも次の手、さらにその次の手と。考えられる限りの手を打つ。そうやっているうちに、危機脱出につながる幸運が舞い込んでくるもの。私の場合も、執念をもっていたので「米国視察に参加しよう」と思えたわけです。

― 外部環境の悪化に悩んでいる経営者にアドバイスをお願いします。

 ロマンとビジョンをもつことです。ロマンは志と言いかえてもいいでしょう。私は43年前に米国に行き、その住まいの豊かさを目の当たりにしました。「これを日本で実現するんだ」というロマンが生まれたのです。

 「外部環境が悪い」なんて、いいわけに過ぎません。経営者はロマンとビジョンをもって、それを実現していくことだけ考えていればいい。為替や税についてアレコレいう前に、考えられるすべての手を打って、社内のだれよりも長く働くことです。

 私の場合、60年でロマンを実現するとして、まず前半の30年間で100店を全国展開すると決めた。計画を立案したときは、札幌市内の7店舗だけ。そこを出発点に、計画から1年遅れの2003年に100店を達成できました。

似鳥 昭雄(にとり あきお)

株式会社ニトリホールディングス 代表取締役会長

1944年、樺太(現:サハリン)生まれ。北海道で育つ。1966年に北海学園大学経済学部を卒業後、父親が経営するコンクリート会社に入社するが間もなく退社。1967年に家具店を札幌市に開店。1972年に似鳥家具卸センター株式会社(現:株式会社ニトリホールディングス)を設立。同年に米国を訪問、「欧米の住まいの豊かさを日本に実現する」という志を確立。チェーン展開を加速し、1989年に札幌証券取引所に上場、2002年に東証一部上場。2010年に持ち株会社へ移行。アジアを中心とする世界の学生を支援する似鳥国際奨学財団の代表理事を務める。著書に『運は創るもの』(日本経済新聞出版社)。2016年2月から現職。

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