2度の倒産と自己破産を経て、3度目の起業
―今年4月にコンパイル○(まる)を設立し、3度目の起業を果たされましたね。
ええ。開発を続けてきた新作ゲームの商品化にめどがついたため、法人設立に踏み切りました。このゲームは構想を含め6年ほど前から開発に着手してきたもので、すでにPC用のプロトタイプは完成していました。
ただ、今年に入り、『ぷよぷよ』ファンの方々にこのプロトタイプで遊んでもらう機会がありまして、そのときの評判がすごくよかったんです。その反応に背中を押されるかたちで商品化を決意しました。
―仁井谷さんは過去に起業と倒産を2度、経験されています。2度目の倒産後も、ずっとこの機会をねらっていたのでしょうか。
いいえ。ゲーム開発は続けていましたが、会社設立を考えていたわけではありません。2度目の倒産後は、専門学校の講師や警備員のアルバイトなどで生活を支えながら、ゲーム業界とは距離を置いていましたから。
そのゲーム開発にしても、決して『ぷよぷよ』で得た成功をもう一度手にしたいというような野心があったからではありません。自分に突き付けられた、いわば「人生の宿題」を解いているだけなんです。
―「人生の宿題」とはなんですか。
そうですね、1作目の『ぷよぷよ』は200万本売れたんです。しかし、自信をもってリリースした2作目は100万本しか売れなかった。1作目に飛びついた女子高生たちが2作目には見向きもしなかったからです。「この差はなんなのか」という問いをゲーム開発者として解くのが私の宿題なんです。
『ぷよぷよ』の醍醐味は“連鎖”にありますが、2作目では「“連鎖”が組みにくくなったから遊ばなくなった」という仮説があります。この仮説は最初に起業したコンパイルでも、2度目に起業したアイキでも新作ゲームの開発で検証してみましたが、うまく結果につながらなかった。それに対し、今回の新作はこれまでの検証で得た知見の集大成という位置づけです。
500億円のテーマパーク構想にのめり込む
―なるほど、「『ぷよぷよ』を超えたい」という開発者としての想いが、仁井谷さんの原動力なんですね。一方、経営者としては、かつてのコンパイルを超えたいという想いはないんですか。
今はもう、そういった想いは持っていません。
とはいえ、「会社を大きくしたい」とか、「売上を伸ばしたい」というような想いを当時は持っていましたね。ただ、IT業界はいまも当時も変化が激しい。当時はその変化の波に乗っているなかで、飛躍的に組織が大きくなり、いつの間にか経営が上滑りしてしまいました。
ゲームソフト事業やその派生ビジネス、またビジネスソフト事業、いずれも事業としては順調に成長していたのに、金融機関からの資金が簡単に調達できたこともあって、さらに成長を急いでしまったんです。次々と新事業に着手し、人員の拡大も急ピッチで進めた挙げ句、資金ショートに陥ってしいました。
―成長を急いだ原因とはなんだったのでしょうか。
最大の原因は、『ぷよぷよランド』というテーマパークの建設に乗り出してしまったことですね。
私には子どものころから、ディズニーへの強いあこがれがありました。そこに『ぷよぷよ』の大ヒットを受けて、地元広島にそのようなテーマパークを作りたいという夢に駆られてしまったんです。水中を通るようなユニークなジェットコースターなどを数々そろえた、世界一のテーマパークを着想しました。実際にテーマパーク建設の経験のあるチームと組み、用地選定や設計図の作成にも入っていたんです。
ただし、『ぷよぷよランド』の実現には500億円ほどの資金が必要とされていました。そのためには、「IPOが必要だ」ということになり、経営目標が一気にIPOに向かうことになったんです。
まあ、そもそも「ゲーム会社は本来、IPOなんて必要ない」と今では考えていますが。
―それはなぜでしょうか。
新作ゲームのアイデアなんてそうそうあるものじゃない。株主の圧力を受けながら毎年新作を発表し、成長し続けることなんて、どだい無理な話です。勢い、無謀な多角化、事業拡大路線に突き進んでしまうことにもなりかねない。
私の場合、『ぷよぷよランド』構想とIPO計画がすべての元凶でした。『ぷよぷよランド』とIPOさえなければ、事業自体は順調に成長していたわけですから。
山一ショックを機に30行の銀行団が「返せ、返せ」の大合唱
―IPOに向けては、具体的にどのような施策を進めたのですか。
新事業の立ち上げと人員拡大を急ぎました。人員拡大は年率で10%以内に抑えておけばよかったと今なら思いますが、当時は一気に30%以上増やしてしまった。「テーマパークの運営には人員が必要だ」という考えもあったので、人員はどんどん増やしましたね。
さらに、広島名産のもみじ饅頭と『ぷよぷよ』のキャラクターとをコラボした『ぷよ饅』という着想も得て、事業化に乗り出しました。今ではキャラクターお菓子というのは当たり前ですが、当時は世の中になく、非常に斬新だったのです。広島のもみじ饅頭メーカーをまわり、協力を打診したのですが、色よい返事が得られず、結局、自社工場の建設にも突き進みました。
―そんな中で、急な事業拡大が行き詰まるきっかけはなんだったのですか。
北海道拓殖銀行と山一証券の破たんです。そこで金融業界の潮目が変わり、銀行団の態度が一気に“貸しはがし”に転じるんです。それまでは、メーンバンクの日本興業銀行が融資を決めると、護送船団方式よろしく、30行ほどがわれもわれもと貸し付けてきていたのに。
各行とも「右にならえ」で、個々の経営判断なんてありませんでしたね。いちどに1行2億円として60億円。それが、「返せ、返せ」の大合唱で、一気に資金ショートに追い込まれてしまったのです。
人材の重要性を痛感させた財務幹部の“逃亡”
―その時、社内にブレーキ役はいらっしゃらなかったのですか。
残念ながら、いませんでした。本来であれば、ブレーキ役となるべき財務担当者自身がいちばんの旗振り役になってしまっていましたから。しかも、彼には資金の一部を私的に流用していた形跡もありました。だから、ブレーキどころかアクセル役となって、銀行団と一緒にどんどん融資を持ちかけてきました。まんまと利用されていたんです。
疑ってはいたんですが、すぐには手が打てなかった。開発の指揮も総務も営業も広報も、私自身がすべて統括していましたから、そうした業務に忙殺されていたんです。挙げ句に、裁判所に倒産にあたっての和議申請を申し立てて1週間以内に、その財務担当役員と主力事業であるソフト開発の担当役員が逃亡してしまった。経営者として、人を見る目がなかったんですね。
―なるほど。確かに、経営者の一番の悩みは人材に関することだと言われています。
そうです。会社は生き物と同じ。体が大きくなれば、それに合わせて骨も筋肉もバランスよく鍛え、大きくしていかなければなりません。骨や筋肉とは、事業や組織を支える人材のことです。いつまでも経営者が、現場と経営を兼務するプレイングマネージャーでいることはできません。
会社を成長させていきたいのであれば、信頼して事業を任せられる部下が必要。権限を委譲するなら、パンツを取り換えられるくらいのパートナーを見つけ、育てていくことです。ただし、財務と戦略は権限を委譲しながらも、一方で経営者本人も深くコミットしなければ、大きな火傷を負うことになるかもしれません。
“クリエイター仁井谷”に期待してくれる人がまだいる
―今回は経営者というより、いちクリエイターとしての再挑戦ですね。
ええ。今は、「次はもっといいゲームをつくりたい」というクリエイターとしての想いしかありません。その想いの集大成が、今回リリースする新作です。開発にあたっては、ボランティアで多くの方が協力してくれました。
また、コンパイル○の設立後、7月に新株を募集したのですが、ある程度の資金が集まりました。会社を二度倒産させている人間に対し、三度目の起業で出資してくれることなんて普通ありますか?経営者としてはともかく、「クリエイターとしての仁井谷に期待してくれている人がまだいる」ということを実感しましたね。
―仁井谷ブランドはいまも健在なのですね。
はい。いまも全国でたびたび『ぷよぷよ』ファンのコミュニティが開かれています。
先日、そのひとつに参加する機会がありました。そこでファンの方々と交流し、みなさんの応援メッセージがつづられた色紙もいただきました。『ぷよぷよ』やクリエイター仁井谷に対する熱い想いを心底実感した瞬間でした。私が開発する次のゲームに期待してくれているファンがいるんだと勇気づけられましたね。
新作ゲームに対する期待にもふれ、実際にプロトタイプを手にしてもらったところ、ファンの方々が夢中になっているんです。それこそ、『ぷよぷよ』をリリースする前夜の光景そのものでした。手ごたえは感じています。
―最後に、新作ゲームのタイトルを教えていただけないでしょうか?
『にょきにょき』です。