スタート地点は「事業承継」
―まず、大都のことをよく知らない方のために自己紹介も兼ねながら会社の沿革などを聞かせてください。
山田
会社は今年でちょうど創業80周年を迎えます。社長は僕で3代目。先代は義理の父、つまり嫁のお父さんだったんですね。5年前に亡くなりましたけど。 結婚する前、僕は新卒で入社したリクルートで働いていて、嫁の実家の会社を継ぐことになるなんて、まったく思ってもいませんでした。なのに、なぜ社長をやることになったのかと言うと、結婚の申し込みで嫁の実家に行くじゃないですか、「娘さんをください」とか言いに。そしたら義父が突然「わかった。娘をやるから会社を継げ」と。会社を継ぐことが結婚の条件だったんです。
高野
それは目が点ですね(笑)。当時の会社の状態はどうだったんですか?
山田
社員数は15名くらい。僕は27歳で入社したんですが、みなさん年上のベテランさんばかりで、僕の次に若いのは40半ばの方でした。事業内容は、メーカーさんから工具を仕入れてホームセンターなどに卸す問屋業。最盛期は年商5億円くらいあったらしいんですけど、僕が入社した頃は3億円程度。毎年毎年、売上が落ち続けていました。
高野
会社の雰囲気はどうでした? リクルートとはいろんなことが全然違ったんじゃないかと思うんですけど。
山田
もう別世界、ですよね。会社の危機なのに社員のみなさんは毎日、きちんきちんと定時で帰ってしまう。それまでリクルートの「その日の目標を達成するまでは会社に帰らない」という文化のなかで育ったので、その落差たるや、信じられなかったです。
社員さんたちは、そんな僕の入社を大歓迎してくれました。「いつ潰れるか」と不安だったところに僕という後継社長が現れたので「これからもこの会社で働き続けられる」と安心されたんだと思います。一般社員として入社したんですが「社長と苗字が違うと周囲に跡継ぎだとわかりにくいから」とみんなに言われ、入社半年くらいで専務になりました。
仕事はトラックに乗ってお得意さん回り。もちろん、僕が加わったからといってなにかが好転するわけもなく、その間も業績は伸びない。中間卸は最後は価格勝負。大手さんと同じことをやっていても、ウチみたいな小さな問屋が勝てるワケがない。「やっぱり問屋業ってムリやなぁ」そんな思いが募って、ついに義父に「廃業させてくれ」とお願いしました。このままジリ貧を続けてニッチもサッチも行かなくなる前に、社員さんに退職金を払えるうちに会社を畳んだ方がマシだと思ったんです。
高野
それもひとつの責任ある決断ですよね。
山田
でも先代から「どうしても会社は残したい」とお願いされましてね。それで「わかりました」と。最後の勝負やと腹を決めて、当時いた社員に「今期、業績が伸びなかったら廃業するから。そのつもりでモチベーションを高めて、みんなで難局を乗り切ろう」と宣言しました。 その時に思ったのが、「企業文化って大事だな」ということ。組織を強くし、人材を成長させるのは最終的には企業文化、社風だと感じたんです。僕自身、リクルートみたいな強烈な社風のもとで育ったので、よけいにそう感じたのかもしれませんけど。
「儲かったら採用しよう」の大間違い
―その後、会社はどうなったんですか。
山田
ちょっと前からEコマースをやり始めていて、「これに賭けよう」と考えていました。最初にEコマースをやり始めたのは2002年頃。昼間はトラックに乗ってお得意先回りをして、仕事が終わりの夜の時間に僕ひとりでページを作成して顧客対応などをしていました。「月商100万円を達成したら人を採用しよう」「それまでは寝ないで自分が頑張ったらええねん」と。そんな調子だったので、月商100万円を超えて1人採用できるまで、結局、1年半くらいかかりましたね。会社の近所のパソコンの操作が得意な女の子がパートで入ってくれました。その時、じつは後悔したんですよ、メチャクチャ。
高野
なにがあったんですか。
山田
とにかくその子が僕がトラックでお得意さん回りをしている日中に、僕のやりたかったことを全部やってくれる。すると売上が一気にガーッと上がるんですよ。それで自分がカン違いしていたことに気づいたんです。「あぁ、そうか。オレは目的と手段を逆に考えていたなぁ」と。「月商100万円になったら採用しよう」ではなく「月商100万円にするために採用しなければいけない」と考えるべきだった。もっと早くに採用すべきだったんです。そんな大間違いに気づいてからは、どんどん採用しました。
―「人件費はコストではなく成長投資だ」。そうした発想に転換したんですね。
山田
ええ。実際、人が増えだすと業績も上がっていきました。ただ、採用では苦労しましたね。リクルートにいた頃はバイトでも優秀な人材がすぐにいっぱい集まってくれたんですけど、ウチみたいな会社ではそれができない。それで主婦の方を集めました。「大手電機メーカーで働いていたけど、いまは出産して家にいます」そんな女性たちです。
高野
人が増え、組織になっていくと、少人数でやっていた時とはマネジメントのあり方を変えていかなければいけません。それに対応できなくて「10人の壁」とか「50人の壁」などにぶち当たって、成長が頭打ちになる会社も少なくありません。その点はどうだったんですか。
山田
いまは60人くらいいますけど、最初はイタチごっこというか、大変でした。売上が上がり、成長ドライブがかかると現場が疲弊してパンクする。それに対応するためシステムの自動化などの効率化をはかって作業を減らす。そしてまたドライブがかかって、疲弊して業務の効率化。そんな繰り返しでしたね。
2010年前後が大きな転換点でした。その前年に中国に(Web制作などを)オフショアして商品登録点数を一気に増やしたんです。売上は昨対比200%、その翌年も200%と、7億円くらいから20数億円へ一気に拡大しました。すると社員が会社に朝来て注文画面を開きながらため息をつくんですよ。とにかくいっぱい注文がきているので「今日も終電だ」とか「出荷がめちゃくちゃになりそう」とか。朝から憂鬱そうな顔をしている。
高野
会社は成長していて利益も伸びているんだけど、ただ忙しいだけ。「自分は何のためにこの会社で仕事をしているんだろう」と仕事をする意味を見失い始めたんですね。非常にまずい兆候です。
山田
そうなんです。その時、救ってくれたのが会社のメンバー。「会社の理念ってなんですか」「ミッションとかビジョンとか。そういうのが必要なんじゃないですか」って言ってくれた。僕からじゃないです。社員が言ってくれたんです。それで「よし、つくろう」と。それがきっかけとなって現在のミッション、ビジョン、コアバリューをつくりました。同時に、その頃から組織のあり方も大きく見直したんです。
肩書や役職は要らない
高野
どんな風に見直したんですか。
山田
部長とか課長などの肩書きや役職といったヒエラルキーをなくしたフラットな組織に変えました。いまでいうホラクラシーですね。決定権を現場に分散し、現場でどんどんものごとを決めていける体制に切り替えたんです。業務効率化の施策でもサイト改善でも、僕が知らないうちにいろんなことが現場で進められていく。こうしたホラクラシーを導入している企業としてシリコンバレーのザッポスが有名ですけど、ウチはザッポスに先駆けて2010年頃からやってるんです。
高野
どのような経営体制なのか、もう少し詳しく聞かせてくれますか。
山田
ウチの場合、社内を開発チームやデザインチームなど役割別のチームに分け、そこにキャプテンをつけます。社内ではよく“合コンの幹事”と話していますけど、実際にキャプテンがやっていることは、メンバーの意見を聞いて要望の実現に動いたりなど、チーム運用上のあれやこれやの雑務。むしろ部活のマネージャーに近いかな(笑)。メンバーからいろんなことを言われるので結構大変ですよ。役職ではなく「役割」なので、入社年次に関係なく交代制でぐるぐる回しています。いま、新卒2年目のメンバーがキャプテンをやっているチームもあります。
ホラクラシーにしているのは、自律型の組織というか、自分の頭で考えるメンバーを育てるためです。ヒエラルキーがある組織との大きな違いは、野球とサッカー、アメフトとラグビーの違いに似ていますね。野球やアメフトでは監督が細かく指示を出し、選手はその指示どおりにプレーすることが求められます。しかし、サッカー、ラグビーでは目の前にシュートコースやトライできるコースが空いていたら自分で決めなきゃならない。10年選手だろうと新卒1年目のメンバーであろうと、指示なんか待たずに自分の頭で考えて、自分で決める。そうした、メンバーが自律している企業文化をつくりたかったので、こんな組織形態にしているんです。
高野
採用はどんな考えでやっていますか。ホラクラシーやチーム制を機能させるためにはスキル採用ではダメで、価値観を共有できる人じゃないと難しいんじゃないかと感じますが。
山田
確かにスキルだけで採用してしまうとうまくいかないですね。チームが機能しなくなったり社内でネガティブキャンペーンみたいなことが始まったりなど、面倒なことが起きがちになります。なので、採用では定性的なスクリーニングを重要視しています。
ただ、フツーの面接は意味がないと言うか、それでわかるのは「面接がうまいかヘタか」ということだけであって(笑)、「どんな人なのか」「ウチの会社に合うのか」といった僕らがいちばん知りたいことはわかりにくいんですね。それで、いろいろ本を読んだりして勉強したんですけど、選考過程でボウリングを導入している企業があることがわかってからは、それをマネしています。だからウチの採用担当役員はボウリングがメチャメチャうまいですよ(笑)。
ボウリングでなければ見えないコト
高野
間違っていたらゴメンナサイなんですけど、ボウリングって投げるボウリングのことですよね?(笑)
山田
はい、間違いないです(笑)。ボウリングは最終面接でやっています。まず対象者を「メシ食いに行こう」って誘って、ウチからは僕と採用担当役員、採用されたら配属されるであろうチームのキャプテン、この3人で出かけます。で、梅田あたりで落ち合って僕が「じゃあ、どこ行こかぁ?」と切り出して、採用担当役員が「ボウリングがしたいです」って言うことになっているんです。で、チームのキャプテンは「自分は麻雀がしたい」と。僕は対象者に「どれにする?」と聞く。一応、ボウリングか麻雀か、選べるようにはなっているんです(笑)。
高野
対象者には事前に知らせてないんですよね。びっくりしますよね。
山田
大抵は「え!?」という反応ですよね。ただ、それをおもしろいと思うか、くだらないと思うか。僕たちは「おもしろい」と思う人たちと働きたいんですね。で、ボウリングとなったら2名ずつのチームに分け、チーム対抗戦でゲームをします。相手チームがストライクを取った時にどんな反応をするか、自分がストライクを取った時にどう表現するか。そんなところを見ています。ちなみに負けた方には「次に行くお店で店員さんを笑わせなければいけない」というペナルティーがあります(笑)。そして、翌日に3人で合否を話しあうんですけど、ほとんど意見は一致しますね。
高野
ベンチャー企業の場合、一緒にご飯に行きたいなと思える人じゃないと、ちょっと難しい、というのはありますよね。
山田
一緒に遊んでご飯を食べて、お酒も飲む。そんな風にある程度長い時間を一緒に過ごすと、すべてがわかるわけじゃありませんけど、その人がウチの会社に合うか合わないかくらいはわかると思います。
これは中途採用の方法で、新卒採用では推薦状を書いてもらっています。だれに書いてもらってもいい。あなたのことを推薦する推薦状をだれかに書いてくださいと。これは糸井重里事務所さんがやっているんです。僕はパクリばっかりなんですよ(笑)。まず、誰に書いてもらうかが悩みどころだと思うんですけど、親に書いてもらう子って、実はすごく少ないんですね。バイト先の店長、高校時代の先生、あるいは彼女に書いてもらったり、友だち10人くらいに書いてもらってパネルにして持ってきた子もいます。推薦状は推薦者から直接送ってもらうので本人は基本的に見ません。それで、採用になっても不採用になっても、最後に推薦状をその子に渡してあげるんですよ。大体いいことが書いてあるんですけど、「こんなことを書いてくれたんだ」と、みんな書いてくれた人に感謝しますよね。
高野
採用現場では「レファレンスをどうとるか」ということが話題になったりすることがあります。こっそり調べたりする会社もあるじゃないですか、ホントはダメなんですけど。それと比べて山田さんの場合は楽しい感じですよね。「監査する」「される」という感じがしなくて、楽しい。相当進んでいるなと思います。それと、“パクリ”と言っていましたけど「良い」と思ったことは貪欲に取り入れる。そんな企業文化をつくろうとしているんだなと感じました。