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「“経営者”を辞めたいCEO」と 「“経営者”になりたいCOO」

CEOとCOOの経験論的生態学 #1

株式会社BNGパートナーズ 代表取締役会長 蔵元 二郎(くらもと じろう)

INOUZTimes編集部
「“経営者”を辞めたいCEO」と 「“経営者”になりたいCOO」

「CEOの真意がわからない」「ウチのCOOはまだまだ修業が足りない」。ホンネではお互いがお互いを“近くて遠い存在”と感じている―。日々、経営者を取材していると、こんな風に考えているCEOやCOOが「意外と多いんだな」と気づかされます。読者のみなさんの会社ではどうですか? でも、400名以上のベンチャー経営者を輩出するなど、数多くのベンチャー企業やその経営チームの“生態”を見てきたBNG代表の蔵元さんによると「それが当たり前なんです」ということなんだそうです。一体、どういうコト? CEOとCOOの“誰にも言えない胸のうち”を蔵元さんに解説してもらいました。

目次 ◆ 飲まなきゃやってられないCOO稼業
◆ CEOの言動を理解できないCOO
◆ “WhatとWhy”を考え続けるCEO
◆ 「想い」を共有できる“夫婦”であれ

【PROFILE】

蔵元 二郎(くらもと じろう)

株式会社BNGパートナーズ 代表取締役会長

鹿児島県出身。九州大学卒業後、大手金融機関にて採用・経営企画に携わった後に、ベンチャー企業にて新規事業の立ち上げに従事。2001年に株式会社グッドウィル・キャリアに入社、事業開発部長・人事部長、社長室長などに従事。2002年、27歳で株式会社ジェイブレインを共同創業し、取締役最高執行責任者に就任。2009年、34歳で株式会社BNGパートナーズを創業、代表取締役社長に就任。2016年、代表取締役会長CEOに就任。「馬鹿(B)が日本(N)を元気(G)にする。」を理念に掲げ、これまで400名以上のベンチャー企業経営者を輩出。著書に『出来ない理由に興味はない!―蔵元二郎の仕事論』(STUDIO CELLO)。
◆PHOTO:INOUZ Times

飲まなきゃやってられないCOO稼業

「死」を考えた時、ヒトが思うことは2つに分けられそうです。ひとつは「死んだら無になる。だから絶対に生き残ってみせる」。

もうひとつは「死は避けられない。自分という存在が人々から徐々に忘れられていくのも仕方がない。ならば“想い”だけは残したい」―。

CEOとCOOの基本原理の違いもこれに似ています。CEOは「“経営者”を辞めたい」、COOは「“経営者”になりたい」。そう考えているのですから。

僕がHRベンチャーを共同創業し、会社のNo.2であるCOOとしてオーナー社長のCEOと“二人三脚”で経営していたことは、前回の連載プロローグでお話ししました。

突拍子もないアイデアと戦略を打ち出すCEO、実務のプロとして組織をまとめ、会社の成長を牽引するCOO(僕のことです笑)の経営コンビ。自分で言うのもなんですけど、すごくイケてるベンチャーでした。

業績確保は“戦争”です。

COOは戦いの最前線に陣取り、部隊を指揮し、時には砲弾が飛び交う血戦のただ中に自ら飛び込まねばなりません。

とにかく勝つこと。それに集中するため瞳孔は開きっ放し。片時も気を緩めることはできない。COOだった当時の僕の精神状態は、いつもこんな感じでした。

だから、というわけでもありませんが、とにかく飲みました。一次会でお客さんを接待し、二次会に流れ、作戦会議などと称して近くで飲んでいた会社のメンバーを招集して三次会。

それでも足りずにひとりで四次会。来る日も来る日も、こんなことを繰り返していました。

アルコールだけが異常な緊張と興奮を鎮めてくれる特効薬、そう思いこんでいたかのようでした。当然、家にたどりつくのは夜中の3時、4時。

そこから3時間くらい、束の間の睡眠をとり、目が覚めたら再び逃げ場のない “COO稼業”という業績と向き合う戦いの場へ―。

戦いの場において、多少の自我は効果的です。「オレは戦わないけど、みんながんばってね」という士官では、部隊はついてきません。「最後はオレがやる」という強さがCOOにどこまであるのか。メンバーはそこを見ています。

信頼されているCOOには、メンバーからさまざまな相談がもちこまれます。いい話であれ、悪い話であれ、 あけすけな“ホンネ”も話してくれます。たとえば「なんかCEOって、営業に関与しないし、なに考えてんっすかねぇ~」とか。

クライアントもそう。「ぢろちゃん(僕の愛称です)だから、取引するんだよ」。新規の取引をしてくれたクライアントのそんな囁きは、僕にとって快感でした。自分という“自己存在”を認めてくれた気がしたから。

「もうさ、ぢろちゃんがトップになっちゃいなよ。その方が会社も伸びると思うよ」。こんなことを言ってくれるクライアントも何社かありました。

「いえいえ、僕なんて、とてもとても」と口では言いながら、まんざらではありませんでした。もっと本当のことを話すと「ですよね」くらいは思っていました。

CEOの言動を理解できないCOO

そんな僕にとって当時のCEOは、心から尊敬していたと同時に、理解できないことも多々ありました。

社長仲間としょっちゅうゴルフに行くのはまだいいとしても、IT企業でもなんでもないのにシリコンバレーへ長期出張したり、政治家が講演するようなセミナーに出かけたり。

CEOの発案で、週末に会社のメンバーを全員、ホテルに集めて2泊3日の“プチ断食”をしたこともありました。僕の頭の中にはしょっちゅう「?」マークが点滅したものです。

コミュニケーションは頻繁にとっていました。

だけど、僕がいくら業績のことや新規開拓の進捗などをCEOに報告し、「どうでしょう?」とアドバイスを求めても「ぢろちゃんがそう考えているなら、それでいいんじゃない」という、僕にとっては期待ハズレの返答。

逆にCEOの口から出るのは「シリコンバレーはこうだった」「あの政治家は、こんなことを話していた」といった雲をつかむような話ばかり。僕はといえば、『それで業績が上がるのかよ』と心のなかで舌打ちしつつ、「そうですか」「へぇ」と適当に相槌を打つだけ。

CEOの突拍子もないアイデアに反対することもしばしばでした。「いや、それはまだわが社には早いです」とか「いまはそれをやるべき時ではありません」と。

するとCEOは決まって「そうか、まだ早いかぁ」とか「ぢろちゃんには、まだわからないかなぁ」などと言って、笑みを浮かべるだけでした。

当時の僕の正直な願いは『CEOは外で遊んでいていいから、頼むから仕事の邪魔だけはしてくれないでほしい』ということでした。

いま振り返ると、当時の僕は、結局、業績を上げることが他人から認められる術であり自己存在の証明だったので、強烈な“自己愛”の持ち主でした。

業績がアップすれば自分という人間の価値が上がり、業績が下がることは自己否定と同じなのですから。

もっともレゾンデートル、つまり自分の「存在理由」を業績に置かないCOOはいないでしょう。業績が上がろうが下がろうが素知らぬ顔。そんなCOOは最悪です。でも、CEOが「やるべき」「やりたい」と考えた構想をCOOがツブしにかかるのは、本当にサイテーです。

COOの役割が「目の前の業績への関与」なのだとしたら、CEOの役割は「未来の会社のあり方を描くこと」。だとしたら、CEOが「こうしたい」「こうありたい」と語る未来構想をCOOがツブして回るのは、会社の将来をなくすのと同じ。

理解できないなりに、「やってみましょう」と答えるべきだったし、結果は別として、実際に取り組むべきだった。いまはそう思っています。

“WhatとWhy”を考え続けるCEO

戦争論や経営論では「戦略は戦術よりも勝る」という言葉がよく使われます。これを経営の現場に落とし込むと、「CEOが“WhatとWhy”を決め、COOが“How”を決める」ということ。ですから、足元1、2年の業績は、基本的にCEOが決めた“WhatとWhy”のレンジのなかでしか変動しません。

しかも、CEOが考えているのは1、2年という短期での“WhatとWhy”ではありません。5年後、10年後という長期視点で会社のあり方、マーケットの変化を考え、そこから逆算して目の前の戦略を導き出しています。“5年商”“10年商”というロングタームで業績を考えているのです。

そうはいってもベンチャーの場合、ある特定の“局地戦”で負けたら大打撃を受けるケースがあります。

ですから、ベンチャーではCEOがトップラインを決め、COOの力量はマックスからミニマムのレンジのなかのどこにマークできるか。そういうことになります。

目の前の業績に取り組んでいるCOOや会社のメンバーからCEOの発言、行動が理解されにくい理由はここにあります。

5年後、10年後を見据えた長期視点でモノゴトを考えると、まずサスティナビリティー(持続可能性)を担保することが絶対条件。

ですから、長期的な姿勢も、短期的な戦術も「誠実」「正直」などの、長期存続を可能にする、ヒトとして当たり前のことの愚直な実践が大前提となります。不誠実で嘘をつく会社は、短期的には儲かっても、長期継続するはずはありませんから。

そうすると、なにが起きるか。

たとえば営業的な困りごとや戦術の相談をCOOから持ちかけられても、CEOは「とにかく誠実にいこうね」とか「正直にやろうね」といった小言を、まず最初に言わざるをえないのです。

COOだった当時の僕もCEOから「ぢろちゃん、まぁ誠実にやろうや」とよく言われました。デキの悪いCOOだった僕は『じゃあ、お前やってみろよ』『そんな誠実、誠実って、それじゃあ予算達成できないんだよ』とメッチャ想いながら(笑)、「CEOの言うことはごもっともですけどね」と口をとがらせつつ、結局、CEOが提示した尺度に照らし合わせて部隊を前進させるべきか、後退させるべきか、ジャッジしていました。

「短期の業績はCEOが決めた5年商、10年商のレンジに収まる」ということは、会社の成長は“CEOのヒトとしての器以上にはならない”ということを意味します。

より大きな戦略を描くため、CEOは自らの“人間の器”を大きくする不断の努力を積み重ねなければなりません。

「人間力をつけよう」「人間を磨こう」。

こんな話しをしたがるCEOが多いのは、このためです。会社の未来を考えれば考えるほど、人格の重要さに気づかされるからです。ですから、CEOは「人格者を目指す傾向がある」と言えます。

自ら起業してCEOになったいま、過去の自分がいかにカン違いしていたのか、また当時のCEOが思っていた真意はなんだったのか。だんだんとわかるようになってきました。

会社の5年先、10年先につながる人脈を開拓し、ビジネス・アイデアを収集するため、経営者仲間や先輩経営者とのゴルフや酒席の機会は大切にしなければなりません。不確実なマーケットの未来の姿を探るため、シリコンバレーといったイノベーションの最前線に身を置くことも必要になります。

いまはまだピンときていませんけど、会社の規模が大きくなり、社会に対する影響度が大きくなるほど、政治家とのパイプをつないでおくことも大切なのかもしれません。

ともかく最近、「オレはいま、こんなことをやろうとしているけど、これって昔、CEOがやろうとしたことと同じだ」。こんなデジャ・ヴュ、既視感にとらわれることが少なくないのです。

塔の上からは遠くの景色がわかります。それは塔の下とは違った別の景色。いまは晴天でも遠くから黒雲が迫っているのがわかるし、下界が雨でもそれが通り雨であることもわかります。

そうした「遠くを見る」「未来を考える」というCEOの役割をまっとうするため、僕は塔の上にのぼらなければなりません。もっと上へ上へと行かなければなりません。

そうして“人間の器”を広げていくことが、会社の成長に直結するから、僕はCEOとして塔の上に行く努力をしなければならないのです。

「想い」を共有できる“夫婦”であれ

遠くを見ていると、会社が絶対に避けられない運命、やがて確実に起こる重大リスクの存在に割と早い段階で気づきます。

それはファウンダーの死。そう、創業者である僕がこの世からいなくなること。ベンチャーにとって、創業オーナー社長の不存在は、とてつもなく重大な経営リスクです。

“カリスマ・オーナー”が去ったことで光り輝いていた会社が、あっという間にダメになるケースは珍しくはありません。なぜならカリスマ・オーナーをカリスマたらしめているのは、事業も組織も対外的な信用も、会社のリソースのすべてをひとりで支配し、独占的に配分していることだからです。

企業のサスティナビリティーにとり、最大の脅威は こうした“人治主義”です。たとえばカリスマ・オーナー、あるいは“営業のエース”がいるかいないかで、会社の土台が揺さぶられるようなことがあってはならない。

創業期においては、カリスマやエースの手腕・影響力が会社の成長のカギを握る場合もあります。しかし、長期継続を実現させるなら“人治主義”から“法治主義”、つまりルールによる統治に会社を変えていかなければなりません。

つまり、オーナー経営者は自らの手で「自分が経営者をやらなくても、大丈夫な会社にする」ため、自分の不存在をゴールに設定し、そんな未来から逆算した会社づくりをしなければならないのです。その責務を背負っているのです。

CEOとCOOの生態がなぜ異なるのか、どうしてもわかり合えない部分が、なぜあるのか。これが、その理由です。

COOの目標は、業績にチャレンジし、それを達成すること。どこまで自分の力が通用するのかを試したい。根底にあるのは「自己」であり、自分は会社から必要とされる存在であり続けたいと考えます。

一方、CEOは自分が存在しなくてもいい会社づくりが究極の目標。自分が経営者を辞められる状況を、一刻も早くつくりたいんです。COOは「会社から必要とされ続けたい」、CEOは「会社から必要とされない状態をつくりたい」と考えているのですから、どこまでいっても完璧な相互理解は不可能なのです。

「会社経営は本当に子育てみたいなものだな」。

最近、こんなことをしきりに思います。子どもの幸せを願うからこそ、時に厳しいことを言ったり、疑問や質問にあえて答えず、「自分で考えてごらん」と突き放してみたり。

子どもに対して絶対の愛情があり、子どもを幸せにできるのは自分しかいないという自負があるから、そんなことができるんです。

でも最近、子どもの顔色をうかがう親が多いですね。本当の愛情を注いでいる自負がないから、子どもに「パパ嫌い」とか言われると、それだけでオタオタしちゃう。

それで、あれを買ったり、これを与えたり。子どものご機嫌取りをしちゃう。子どもに迎合するのは、親としての責務を全うしている自信がないからだと思うんですよね。

話が脱線してしまいました。いま僕はCEOとして、「会社の将来にとって大事だ」と思うことを自分なりに考え、実行しているつもりです。その真意は会社のメンバーから理解されていないかもしれません。

僕がリスペクトしている、あるCEOは「自分のやっていることは、COOや社員からは『また道楽が始まった』と思われているかもわかんないね。でも、それでいいんだ」と達観したことをおっしゃっていました。激しく同意、です。

CEOとCOOの間には、理解できないことがいろいろとあります。それは仕方のないことだし、それでいいんです。自分の役割を全うすればするほど、その隔たりは、より大きくなるでしょう。それこそがCEOとCOOの“あるべき姿”なのです。

しかし、だからといってCOOは(僕がそうだったように)「自分とCEOは同列、同格」といった錯覚を起こしてはならない。そこをカン違いしていた僕は、本当にサイテーのCOOでした。

一方のCEOは、COOの顔色をうかがって、会社の未来をつくる打ち手を緩めたり、妥協すべきではありません。

思えば、CEOとCOOって、夫婦みたいなものかもしれませんね。それぞれのやり方や表現方法は違うけれど、会社のメンバーという“子どもたち”を幸せにしたい、子々孫々まで繁栄してほしい。

表面的な相互理解より、そうした想いを共有できるかどうかが、なによりも大切なんだと思います。

蔵元代表インタビュー別記事
INOUZ TimesのBNGパートナーズ蔵元さん関連記事です。こちらもご覧ください。

ベンチャー経営者の評価スキルをめぐる “不都合な真実”

※過去の人気連載「CEOとCOOの経験論的生態学」
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