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日本企業が「シリコンバレー不適格症候群」に陥った理由(前編)

シリコンバレー在住28年の日本人経営者が証言する日本企業の「玉砕史」

Beans International Corp 社長 遠藤 吉記

INOUZTimes編集部
日本企業が「シリコンバレー不適格症候群」に陥った理由(前編)

生物学の有名な寓話をひとつ。他者を拒絶する絶海という壁に守られた孤島・ガラパゴス。その特殊な生態系は絶妙なバランスの上に成立していて、世界ではあたり前に存在するがガラパゴスにとっては新種のウイルスをまとった一匹のハエの侵入を許しただけで、もろくも崩れ去る―。ガラパゴスを日本、一匹のハエをグローバリゼーションと置き換えるのは容易だ。日本の足元から膝上へと着実に押し寄せるグローバリゼーション。その奔流に呑み込まれたくなければ、絶海の向こう側で生き残るための術を身につけなければならない。その手がかりとなるのは、グローバリゼーションの坩堝、シリコンバレーで日本企業が連戦連敗を喫することになった理由と向き合うことだろう。なぜなら座礁船の死屍累々を避けていけば、高い確率で正しい針路をたどれるからだ。そこでシリコンバレー在住28年の日本人実業家である遠藤氏に、かの地で日本企業が負け続けてきた深層、日本企業にチャンスはあるのかなどを聞いた。

※下記はTechPeople(弊社運営)の記事を再編集したものです。

ダメになるべくしてダメになった

―遠藤さんは1988年から28年間、シリコンバレーに身を置いてきたそうですね。

私はずっと製造業のQC(品質管理)に携わってきました。ITバブルもここで経験しているし、まわりが億万長者になっていく中、一人だけ地味にやってきました。良い意味で私は浮き沈みなく淡々と世の中の流れを見てきて、シリコンバレーの事情についてもよく知っているつもりです。

もともとは“テレビ屋”です。テレビの製造ラインの品質管理などをする小さい会社でした。ブラウン管のころはものすごく盛り上がって神奈川の町工場から上場までしました。

―その“テレビ屋”時代に駐在員としてシリコンバレーにきたのですね。シリコンバレーの変遷やそこから見える日本の姿を教えてください。

シリコンバレーにはブームが何度かありました。

70年代が第1次シリコンバレーブームで、これは半導体ブームでした。そのころは日本もIntelのマイコン技術がどうしてもほしいので、半導体を作りました。いまと同じようにビジネスデベロップメントという役職の人が日本からこぞってシリコンバレーにきていました。

80年代がパソコンブーム。初頭にIBMがパソコンを出して、MicrosoftがMS-DOSをリリース。84年にMacがでてきました。86年頃がピークで、そのときは日本もバブルでした。しかしデジタル革命が起こりオフショアに流れます。ハードウェアが簡単になったことでオフショアでつくれる、つまりどこでもつくれるじゃんということで中国や台湾に流れ、さらに彼らが技術を真似ることで値段が一気に下がっていきました。

86年がピークで、88年に私が来た頃にはもう下がっていました。これがシリコンバレーの第2次ブームだったと思います。

ソニーなど力があったところはディスプレイをいっぱい作っていました。ブラウン管はけっこう特化した技術だったので、Gateway(注・現在はAcerのブランド)やDELLなどのパソコンのディスプレイも日本のメーカーのものが使われていました。日本の独断場でした。

しかし、誰でも作れるようになり、日本の産業系のパソコンは早々と玉砕しました。

―その後はどうなったのでしょう。

その次は携帯電話でした。90年代のITバブルの時期、日本の携帯電話メーカーは全社アメリカに工場を置いていました。日本で「iモード」の通信形態が出て、これを当時AT&Tに採用してもらおうとNTTが1兆円投資して頑張っていたので、これに乗っかるために、みんなこぞってここにきていたんですね。しかしAT&Tは結局iモードではなく、96年か97年ぐらいにCDMAの採用を決めました。それで日本メーカーは「なんだダメか」って、全社撤退したんです。これが非常に愚かでした。

日本はiモードで盛り上がっていたので携帯は「つくれば売れる」市場でした。だから日本のメーカーは全部日本に帰ってしまった。

韓国は日本の真似をして同じような携帯を作りまくっていましたが、韓国は自国に戻る市場がありませんから、とにかくアメリカの流れに乗っかるしかなくてCDMAの携帯をつくりはじめました。それがSamsungのスマートフォンGalaxyの源流です。結果、ヨーロッパもアフリカも、すべてCDMAを採用したのでSamsungが世界を食うことになりました。

日本のメーカーも1社くらい残ったら良かったのにと思います。私はソニーあたりが残ると思っていました。当時、QualcommがCDMAのチップを作っていましたが、その頃はスタートアップで小さかったですし、パートナーシップを組めば今頃ソニーが世界をとっていたかもしれません。

―テレビも同様ですか?

2000年に入ってテレビのモニターがブラウン管から液晶パネルの時代に入り、その頃はまだ日本に技術アドバンテージがありました。2006年頃のピーク時にはメキシコには、ほとんどの日本メーカーの工場があり、年間約3,000万台作っていました。しかし2010年には日本のテレビメーカーの撤退縮小が始まり、今は自社ブランドではなくOEM生産で100万台あるかないかぐらいです。

パソコンや携帯電話がダメになったようにTVも玉砕してしまいました。私はこういった浮き沈みの流れを現場でずっと見てきました。

テレビは2006年頃がピークでしたが、みんな危機感を持っていませんでした。「最近、韓国メーカーが安くテレビを作っているけど、なんでこんなに安くできるんだろうね」といった程度で、2007~2008年ぐらいになってようやく韓国メーカーのテレビを分解して研究し出しました。結局2013年に日本のテレビ生産は終焉を迎えます。

日本メーカーは技術オリエンテッドで3D出したら売れるんじゃないか、薄くしたら壁にかけられるんじゃないか、とまともなマーケティングをせずに技術で挽回しようと試みました。

加えて日本のTVメーカーは差別化も何もなくて一社がやるとみんな同じことをやります。薄くすれば売れるんじゃないかと考えてものすごい研究開発費をかけてテレビの厚さを3cmから2cmにしました。そしてできました、となっても結局売れません。需要がないから売れるわけがないんです。ダメになるべくしてダメになったと言えます。

次は本丸「自動車産業」が危ない

―遠藤さんが次に危ないと感じる産業はありますか?

「自動車」です。日本の中小町工場の人向けに講演をすることがありますが今の自動車産業の景気が良いので誰も世界を見ようとせず、みんな井の中の蛙です。

加えて電気自動車のTeslaが出てきたことによって自動車業界の構造が変わりつつあります。世の中の産業の中で自動車は最後の牙城です。なぜなら「エンジンで動く車」という状況が100年以上変わってきませんでしたから。しかし、そこにTeslaがでてきてモーターと電池に電子デバイスを使った自動車づくりができる世界を作り、そこにコンピュータがくっついたコネクティッドカーとなったことで自動運転などが実現しました。これが何を意味するかというと、GoogleやAppleが自動車産業への参入を表明しているので,間違いなく今までの車というハードを売って利益を得るビジネスモデルが、スマートフォンのように車から得られる情報で利益を得られるものに変わってくるということです。

そうなると日本はヤバい。日本の製造業の中核は自動車産業関連の中小の町工場を中心とした莫大なサプライチェーン。それらが全滅になってしまう可能性がある。複雑な機構をもつエンジンを搭載した自動車をつくるためには数万点、数十万点の部品が必要。だから膨大なサプライチェーンが不可欠でした。しかし、たとえばモーターの構造はエンジンに比べてシンプルで簡単に量産可能です。今後、自動車づくりのキーコンポーネントは鉄からつくったハード部品ではなく電池とモーター、それに半導体工場で量産する電子デバイスとITエンジニアが編み出すソフトウェアとなってきます。そうなると日本の中小の町工場が磨き上げてきたモノづくりの技術は不要になるでしょう。

ですから、これまで自動車部門に本格参入してこなかった韓国勢のSamsungやLGも電池やデバイスで自動車産業への参入を狙っています。NokiaやEricsonのヨーロッパ勢は、通信ネットワークの構築で市場を狙い、半導体メーカーのIntel、NVIDIAなども、車載半導体にフォーカスしはじめています。

―厳しい状況に危機感を覚えます。

非常に申し訳ないですが、このような状況に接している私にバラ色の話はできません。このまま行くと日本は危機的な状況です。ただ何が言いたいかというと「だったら考えることがあるんじゃないの」ということです。

―どういう考えを持つべきでしょうか?

結論から言うと日本の大手企業を中心とした経済に期待はできません。シリコンバレーには、これから世界のデファクトスタンダードをつくる土壌があります。そして日本は、中小企業のもつ技術力の高さや経験、ノウハウで絶対ここに食い込むチャンスがあります。こういう認識を持っていれば、ハードウェア産業においては非常にチャンスがあるはずなんです。

―シリコンバレーの製造業の状況を教えてください。

シリコンバレーに来た当時から私が一貫して感じているのは、実はシリコンバレーは世界一の製造拠点だということです。日本や中国や台湾や韓国ではなく、製造のインフラが世界一整っていると思います。

スタートアップも大企業も試作品はシリコンバレーで作っているわけで、それを実現するインフラがあります。AppleがApple Watchを作る。GoogleやFacebookがあれだけのトラフィックでも落ちないデータセンターを作る。世界最先端のテクノロジーを支える製造拠点がここにはあるんです。試作品はここでつくって、量産は別でやる。そういう意味でもここはものすごくクリエイティビティがあります。

そのような、試作のインフラをつかさどる町工場がシリコンバレーには2,000社ぐらい存在します。リーマンショック前までは5,000社ぐらいありましたが6年で半分以下になりました。それだけ新陳代謝が激しく、淘汰されてはいますが、どの企業もハングリーで、ここで生き残っている中小町工場は本当に強いですね。日本の町工場とはレベルが全然違います。こういう認識は持った方がいいでしょう。言い換えれば日本で作れるものは、こちらでも難なくできる。加えてアメリカには補助金もないので、こちらの町工場は仕事に関しては非常に貪欲です。

―日本の町工場はどうでしょうか?

日本の中小企業を盛り上げようというプロジェクトを5年くらい前からやっていますが最近は半分絶望しています。結局みんな井の中の蛙です。「モノづくりだ」「匠の技だ」と言いますが、だから何だって思います。これは私のポリシーですが「売れてなんぼ」でしょう。昔は大手からの仕事があったから頼まれて作っていました。だけどそれで世界に挑戦できるかというとできません。

下請けという体質だったのでセールスもマーケティングもいません。中小町工場も2代目3代目と世代が変わって、もうちょっとできるかなと思っていましたが、親が景気よかったものですから、すごく甘やかされています。

いわゆる「匠の技術」というのがいかにダメかということを理解した上で、どうするべきかを考えることが大事でしょう。iPhoneの鏡面加工も過去の話です。本当にそれで儲かっているでしょうか? しかもそれは氷山の一角です。日本の90%以上が中小企業ですから氷山の一角がフォーカスされても意味がない。それに、最近は海外進出が盛り下がってきました。国が町工場などの中小・零細企業に補助金を広く出すようになって景気も上向いたものですから、国内で仕事ができて、また安穏としてしまいました。

“後編に続く”

遠藤 吉記

Beans International Corp 社長

Beans International Corp社長。神奈川県出身。シリコンバレーに滞在している日本人事業家。1988年に渡米。10年間の駐在員経験のあと独立して起業。シリコンバレーでは珍しい製造業に携わる仕事を継続し現在に至る。中小機構国際支援化アドバイザー、SVJEN*ボードメンバー、JETRO Innovation Programのアドバイザーなども務める。

*SVJEN : Silicon Valley Japanese Entrepreneur Networkの略称。シリコンバレーで起業する日本人を支援するネットワーク(http://svjen.org/ )

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