おかしいことだらけだった
―設立4年で株式を店頭公開、9年で東証一部上場と、急成長できた要因はなんでしょうか。
羽鳥:1994年にガリバーを設立したとき、ゼロからスタートしたわけじゃなくて、下地があったからです。私は36歳で中古車販売事業を始めて、ガリバー設立までに20年近くのキャリアがあったし、いまと同じ「買取専門」という業態も85年に福島県郡山市でやっています。これは時期が早すぎて、うまくいきませんでしたが。このような中古車業界での長い経験があって、54歳でガリバーを設立したわけです。
―なぜ、新たなチャレンジに挑んだのですか。
羽鳥:お客さんから信頼される業界に変えたかったからです。昔は、車に詳しくなさそうなお客さんに対しては、300万円の価値のある車でも「80万円で買い取ります」なんて日常茶飯事。私自身、マイカーを業者に買いたたかれました。福島から子ども連れで東京に出向いて売りに行ったら、約束の値段の3分の1だという。きちんと書類をそろえていったのが、かえってあだになった。「こいつは絶対に売りたいんだ」と、足元をみられたんですね。これでは、信頼されなくて当たり前です。
―不透明な値付けが横行していたと。
羽鳥:どうしてそんな値付けをするのかといえば、在庫リスクがあるからです。買い取った車を展示場に置いて、エンドユーザーに販売するわけですが、売れるまで置いておかなければいけないし、売れないかもしれない。
日本の自動車メーカーはひんぱんにモデルチェンジをするので、中古車の価格はそのたびに下がります。それを見こして、価値が落ちる1~3ヵ月後に売り払っても、損しない価格で買い取らなければいけない。その間、展示場を運営する人件費や宣伝費も必要。リスクを考えて買値をつけると、「できるだけ安く」となってしまう。
2人だけで全国500店舗にすると唱和していた
―そこでエンドユーザーには販売せず、「買取専門」の会社を立ち上げたわけですね。
羽鳥:買い取った車は、全国のオークションにすぐ出品し、在庫をもちません。オークションというのは、中古車販売会社の間で売買する場です。ガリバーの本部は「この車のこの年式だったら、いま北海道のオークション会場で一番高く売れる」といった具合に、全国の最新情報を収集しています。それに基づいて、そのタイプの車の買取案件があった場合、北海道のオークションに出すことを前提に、値付けをするわけです。
この査定は本部一括方式なので、全国どこでも、同じ種類の車で、似たような状態なら、同じ時期には同じ値段です。われわれの在庫リスクや販売経費はないので、高く買い取れる。「値付けが透明で高く買い取ってもらえる」ということで、お客さんからの信頼を得ることができたんです。
―設立当初から全国展開を目指していたと聞きました。
羽鳥:全国のオークション情報を集めなければいけませんからね。設立してすぐに、「5年以内に全国500店舗を展開する」と目標を立てました。中古車業界のプライスリーダーになって流通革命を起こす意気込みだったので、この目標を全員で毎日唱和。といっても、最初は私を含めて2人だけでしたけれど(笑)。 掘っ建て小屋のような倉庫を利用した、郡山市の1号店でね。目標通り、5年後の99年9月に500店舗を達成しました。初心を忘れないように、現在は全店舗に1号店の写真を掲げさせています。
ネット上での小売は猛反対された。だけど成功した
―競合他社はエンドユーザーへの販売で利益を上げているので、なかなか「買取専門」という業態を発想することは難しかったようですね。
羽鳥:発想というよりも“覚悟”がいりますね。いまだから話しますが、設立当初のことです。買い取った車をオークション会場に運ぶためにキャリアカーに載せるのですが、そのなかに当時人気の車種があって、「コレは降ろせ! 小売に出そう」なんて言ったことが、2回ぐらいありました。でも反省しましてね。キャリアカーに載せるときは、文字通り目をつぶることにしました(笑)。とにかく在庫をもたない経営に徹しようと。
―いまはエンドユーザーへの小売も展開していますが、これも「在庫減らし」という意味合いが強いのでしょうか。
羽鳥:ええ。すぐオークションに出すといっても、開催日まで待たなければいけないし、会場まで運ばなくてはいけない。7~10日はどうしても在庫になります。この間にエンドユーザーに売れれば、われわれには在庫減らしになり、エンドユーザーにとっては安く買えるチャンスになる。そこで、「ドルフィネット」というインターネット上での小売を98年に始めました。「車を見ることができず、試乗もできない。売れるはずがない」。役員や社員からは猛反対を受けました。でも、私は違うだろうと。
―なぜ、売れると確信できたのですか。
羽鳥:お客さんは現物を見ることより、プロが調べた情報を知りたいはずだからです。中古車の不具合を調べるには、車の下にもぐりこんでオイル漏れのリスクなどを確かめる必要があります。でも、お客さんはそんなことはしない。専門知識がないのだから当然です。そこで「ドルフィネット」では、過去の修理歴から小さなへこみまで、専門家が調べた詳細な情報を開示。さらに、国産車には購入から最長10年の保証をつけました。これほどまでの長期保証は、おそらく業界初。現物を見たとしても、こんな安心は得られません。
高速道路も販売場になる
―売る側にとっては、販売コストが削減できるわけですね。
羽鳥:私は若いころに中古車を月50台売った記録が自慢だったのですが、昨年10月、うちの島袋君が月52台売りましてね。ついに抜かれてしまった(笑)。しかも、彼は買取の仕事がメインで、小売はその合間にやっているんです。
小売の商談をしている間、現物の車は目の前にありません。たとえば、大阪で買い取った車を東京のオークション会場に運ぶため、東名高速を移動中だったりするわけです。商談がまとまれば、高速道路の途中で車を降ろす。だから、「わが社の展示場は東名高速だ」なんて言っているんです。
―2012年7月、千葉県習志野市に敷地約2万7000㎡の大型店舗をオープンしました。買取から販売へと軸足を移したのですか。
羽鳥:これも発想は「オークションに出すまでのモータープール」なんです。全国85ヵ所に出しているアウトレット店も同じ。ネット、大型店、アウトレット、ファミリーカーや輸入車などの専門店で小売を展開していますが、考え方としては「在庫減らし」なんです。
まず常識を疑え
―成熟市場を攻略するための秘訣を教えてください。
羽鳥:どうすればお客さんのためになるのかを必死に考え抜くこと。そして、従来の常識を疑うことです。ユニクロだって、昔ながらの衣料品業界であんなに成功したのは、そういう発想があったからでしょう斜陽産業といわれている業界ほど、チャンスがあると思いますよ。
それから、仕事に関係のないことはなるべくしないこと。ちょっとお金ができると、すぐ遊びに使ってしまう経営者もいますが、それでは成功しません。ロケットで地球を飛び出すとき、できるだけ重量を軽くしなければ、大気圏を突破できないでしょう。本当に成功したいなら、経営のことだけに集中するべきですよ。
―当面は国内の拡大に集中しますか。
羽鳥:今年から本格的に東南アジアに進出しようと思っています。海外展開については、これまで試行錯誤の連続だったんです。2004年に初めてアメリカに進出したときは、「買取専門という、こちらのやり方を教えてやろう」という気持ちで行ったんですが、うまくいきませんでした。“郷に入らば郷に従え”という言葉の通り、こちらのビジネスモデルを押しつけてもダメ。アメリカには現地のお客さんが抱えている課題があって、それを解決するようなビジネスじゃないといけない。いまは“預かり販売”という個人のお客さんから委託を受けて販売する方法で、市場開拓を進めています。
―アメリカ以外への進出戦略を教えてください。
羽鳥:実は、韓国、インドから、ロシア、アフリカまで進出した時期があったんですが、アメリカ以外はすべて撤退しました。(現在はタイ、オーストラリア、ニュージーランドにも展開)失敗の原因は人材不足。「世界を舞台に活躍したい」という夢だけあって、実力が十分でない社員が多かった。当時は「大きな夢をもつのはいいが、その夢を実現するだけの能力を身につけなければいけない」と若手社員に説いて回りました。スキルを高めるには、目の前にある仕事をしっかりこなして、経験を積み重ねるしかない。そうやって地道に努力して、夢を実現しなければいけない、と。
トップを2人にすることでいいこともある
―最後に、後継者の育成について聞かせてください。2008年6月、息子さん2人を同時に代表取締役社長に就任させましたが、その狙いはなんですか。
羽鳥:事業承継はもう少し先だと思っていたんですが、長男と次男から「2人を同格の社長にしてくれ」と申し出があったんです。最初に聞いたときは、何をバカな、と思いましたよ。でも彼らは真剣です。まず、トップの暴走によって経営判断を誤るのを防ぐことができると。さらに、2人で徹底的に議論することで、より良い案を生み出すこともできるという。下に指示するときは、必ず2人が合意したものを一元化して下ろすと。考えれば考えるほど、これは名案だと思えて、決断したのです。
―いつ頃、息子さんたちに経営を任せる予定ですか。
羽鳥:すでに実務面は2人に任せています。私はガリバーの精神を若い世代に伝える役割を担います。その一環として、70歳になって、ユーラシア大陸を横断するマラソンに挑戦。毎日43㎞走り、14ヵ月で約1万3350㎞を完走した。その姿を見て、社員にチャレンジ精神を学んでほしかったからです。これからも走り続けますよ。