目次
◆“ふち”が重なる円
◆トップが得意ではない領域を全部やる
◆魔法をかけ続ける
◆高野's EYE~No.2は、逃げない
【回答する人】
【ナビゲートする人】
“ふち”が重なる円
―両雄並び立たずというか、トップとうまくやるためにはNo.2が一歩下がるというイメージがあります。
自分の場合は一歩引いているという感覚はあまりありません。もちろん、会社の軸は小島(ウィルゲート代表取締役CEO 小島 梨揮氏)ですけど。
トップとNO.2が並び立つためには、一歩引くといった忖度や遠慮の姿勢ではなく、それぞれの得意領域で役割分担ができていることが重要なポイントになると思います。ウィルゲートの場合は私が事業を、小島は事業以外の経営企画や人事の領域を担当しています。起業する前からおたがいの得意・不得意はわかっていたので、話し合いで決めたというよりは自然な流れでこうなりました。
―確かに得意領域が重なっていると、うまくいかないケースが多いように感じます。自分の得意としている業務分野でNo.2が有能だったりすると、トップが嫉妬することもあったりして。
そんな話も聞きますよね。ただ、私と小島の場合は、業務を明確に線引きしているワケではないんですよ。重なりあっている部分もあるんです。たとえば、人事は小島の担当ですが経験者採用については私がやることもあります。高野さんのような方とお会いして「誰か、いい人いません?」とお願いするのは私の方が得意なので。
―いつでもご紹介します(笑)。
そのときはよろしくお願いします(笑)。
小島と私をふたつの“円”に例えるとしたら、ふちがほんの少しだけ重なりあっているようなイメージです。円の重なりが少ないほど、たがいの強みが活きて推進力も高まりますが、まったく重ならないのも縦割りになり過ぎ。それはそれで良くないと思っています。
―大企業のように業務分担の線引きをかっちり縦割りにしてしまうと、責任範囲こそ明確になりますけど、ベンチャーらしさは失われるかもしれませんね。
役割分担と業務分担は同じように見えて、ちょっと違うと思うんですよね。小島と私の場合、根底にあるのは得意・不得意による役割分担なんです。
ただ、気をつけていることがひとつあります。それは、小島が担当している業務に私がかかわる場合、現場に自分がかかわることを事前に伝えておくこと。人事業務である採用は本来、小島の担当なので管轄外の私が説明もなく急に入ると現場が混乱してしまうので。
―どっちの指示に従えばいいのかわからなくなりますよね。
現場からすれば“ふたり上司”みたいなカタチになりますから。ここは気をつけた方がいいですよね。
トップが得意ではない領域を全部やる
―自然な流れで役割分担しているということですけど、そこのところをもう少し詳しく聞かせてください。
#1でもお話しましたが、起業したばかりの頃、小島が「今後、自分は実務をやらない」と宣言して、著名な経営者の本を読み始めたんです。そして、読んだ本について私にフィードバックしてくれながら、会社のビジョンや方針を固めていきました。それがそのまま役割分担の原型になったと思います。
―小島さんからは、どんなフィードバックがあったんですか。
「この本で得られた気づきが3つあった。ウィルゲートにも取り入れていきたいよね」といったフィードバックです。
当時は仕事場のマンションの一室に一緒に住んでいて、皿洗いとかをしながら、そういう話をしていました。1年半ほど同居していたんですけど、その間、ずっとそんな感じでした。自分にとっては、すごく貴重な時間でしたね。
―それは吉岡さんにとってどんな意味があったんですか。
ふたりとも学生時代に起業したので、いわば無色透明。だから、書籍から得た気づきのフィードバックは、小島と私の経営に対する基本的な価値観を擦り合わせる貴重な機会になりました。小島本人にそういう狙いがあったかどうかはわかりませんが、小島という土壌のなかで私という植物が育っていったというか。そんな大きな意味がありました。
小島と私は幼馴染で創業時の倒産危機を一緒に切り抜けた間柄です。これは、かなり特殊な例といえるかもしれません。でも、そんな歴史がなくても信頼し合えるトップとNo.2になることは、きっと可能です。それを実現するためには、ふたりの経営の基本的な価値観が近しいことが重要だと思っています。事業戦略であれば、ある程度の正解はありますが、組織のカルチャーなど、人事面は特に「経営者の好み」が出るので、そういった部分でおたがいの価値観に共感しあえることが大切ですね。
―実務派ではなく、共感を生み出せるビジョナリストのトップの方がNo.2に恵まれると思いますか。
よきNo.2に恵まれるかどうかはトップがどういう人なのか次第だとは思いますけど、必ずしもビジョナリストである必要はないでしょう。
最近、『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』という本を読んだんですが、経営は「アート」「サイエンス」「クラフト」という3つの要素に分解できると書いてありました。そして、経営者もこの3タイプに分類できると思います。アート、つまりビジョンや夢を語ることが得意な経営者がいれば、サイエンス、科学者のようにロジカルな分析が得意だったり、クラフト、経験・知識をもとにビジョンを実行することに長(た)けている経営者もいます。
No.2の理想的な役割は、トップが得意でない領域を全てカバーできることだと思います。たとえばアートが得意なトップであれば、No.2はほかの2つをカバーすればいいんです。アートとクラフトの両方ができる経営者の場合は、分析やKPIの管理ができるCFOのようなサイエンス型のNo.2がいいんでしょうね。
―だから、トップとNo.2の得意領域は重なっていない方がいいんですね。ウィルゲートさんの場合はどうなんですか。
小島はアートタイプで、CEOとして大切にしている想いやビジョンを打ち出す、ウィルゲートカルチャーの象徴的存在です。それに対し、私はクラフトタイプのCOO。事業や顧客に対して深い知識を持ち、得意領域は対顧客・営業です。小島は営業については、ほぼノータッチ。創業からこれまで小島が既存顧客対応で現場に出てこざるを得なかったのは数えるほどでしたね。
また、2015年からは取締役CSO(戦略)兼CFO(財務)としてサイエンスタイプの井口がジョイン。それぞれ得意なことが違う小島と私と井口、この3名の取締役で役割分担を行っています。
魔法をかけ続ける
―有能なNo.2がほしいと考えている経営者に、No.2の立場からアドバイスはありますか。
逆説的ですけど、そのNo.2がずっと会社にいてくれるとは思わない方がいいでしょう。そういう私は、あと40年はウィルゲートに居続けようと思っているんですけど(笑)。結局、どのトップの下につくかはNo.2に選択権があります。No.2はトップを選べるんです。
たとえば、会社の株をトップひとりで全部独占していて、かつトップとそれ以外の役員陣との給与格差にすごく開きがあるというような状況では、すてきなNo.2を迎えることは難しいと思います。創業時からともにリスクを負って事業貢献している役員がいるのであれば、少しでも会社の株を渡すとか、トップの給与を下げてでも経営幹部の待遇をよくしないと、10年スパンで経営にコミットしてくれるNo.2は現れないと思います。
当社の株主である株式会社リンクアンドモチベーションの代表取締役会長の小笹さんに面談していただいた時に頂戴した言葉なんですけど、「トップは『この人についていきたい』『この人を支えたい』と周囲に思わせる“魔法”をかけ続けなければいけない」。つまり、No.2に一緒にやり続けてもらうためには、かなりの努力をしなければいけないということです。
それと「ずっと、このNo.2とやり続けていくんだ」と盲信的に思い詰めない方がいいでしょうね。上場後も成長を続けている企業を見ていると、成長フェーズやその時々の経営課題に応じてNo.2が替わっていることも多いんですよね。
―No.2から選ばれているという認識をもちながら、いざとなったらNo.2を替えていく厳しさや冷静さも必要だと。
ええ。ですから、No.2もトップから替えられないように自分を磨き続けていかなければいけません。私自身もウィルゲートのさらなる飛躍に向けて、常に危機感を持ちながら、自己成長に向き合っていきたいと思っています。
高野's EYE~No.2は、逃げない
シリーズ4回にわたってNo.2のあり方を深掘っていった先に立ち現れたのは、“トップの姿”だった。人間的な意味でも経営者としても、有能なNo.2から選ばれるような魅力と実力があれば、そのトップはNo.2探しに苦労することはないだろう。
同時にNo.2人材の希少性についても思い知った。「私はNo.2タイプなので」「自分は補佐役が合う」と話す人は意外と多い。でも、このような人は大抵、No.2にも補佐役にもなれない。せいぜい5番目か6番目か。No.〇の対象にすらならないことも珍しくはない。なぜなら、そう公言する人から圧倒的な当事者意識は感じられないからだ。経営という不確実で険しい未知の旅は、なにごとにも立ち向かっていく当事者意識に欠け、いざとなったら逃げだしそうな相手と一緒にはできない。
一方で、どんなトップとNo.2も、その関係性は不変ではなく流動的だ。なぜなら、おたがいに成長していくからだ。どちらかが成長に追いつけなくなれば、運命共同体のように思えた美しい関係も終局する。トップとNo.2には、そうした厳しさ、激しさがある。
No.2論、いかがだったでしょうか。私自身、新たな発見が数多くあった有意義な取材でした。最後までおつき合いいただいた吉岡さんと読者のみなさまに、この場を借りて謝意を表します。