ミラーボールのような本
また読み返すと思う。
リクルート創業者、江副浩正氏の生涯を丁寧にまとめあげている。
いまなお企業価値を高め続けるリクルート。
躍進する現在のリクルートへの興味がきっかけで本書を手に取ったのは、経営者としてあまりにもオーソドックスな理由かもしれない。
その創業者の人生はあまりにも壮絶だった。
幼少期、学生起業、人材事業からの情報事業への拡大、不動産や金融、リゾート事業への展開、リクルート事件、バブル崩壊、ダイエーへの株式譲渡、退任後の事業家人生。
これは江副氏本人の自叙伝ではない。
彼を知る多くの人々からの証言を束ね合わせ、絡み合う矛盾をばっさり切り落とし、意図を極力織り交ぜない形でまとめあげている”江副本”。
これはある意味、自叙伝よりも多くの経営者を魅了するかもしれない。読者の目的ごとに、それぞれ反射してくれるミラーボールのような本だと思う。
わたしのオーソドックスな目的に対しても、しっかり反射してくれた。
本書を読んでいる途中、昔ある経営者から教えてもらった話を思い出した。
「経営においてマネしやすい順番はこうだ。商品、戦略、人材、文化の順。企業の文化は絶対マネできない。一番の競争力だ。」
すなわち、経営者の仕事とは企業文化の形成。
読み終えた後もこの話が頭をぐるぐるまわっている。
リクルートという会社は、創業者が去った後も企業価値が高まり続けている。
それは、クビの皮が一枚つながり続けた偶然の産物なのか。それとも太い背骨がシャキッと通ったマネできない文化があるのかは愚問だろう。
同社も創業時はゲイマンシャフト(運命共同体)な組織であったが、拡大するにつれてゲゼルシャフト(利益共同体)的な形に変わっていったと本書で触れられている。
これは多くの企業経営者が味わう成長痛のひとつだろう。深く悩む痛みだ。
江副氏はこの問題に対して、ゲイマンシャフトとゲゼルシャフトの”両面を強く持つ”企業づくりへとアプローチする。「社員皆経営者主義」というコンセプトを置き、その両輪として「プロフィットセンター経営」と「社員持ち株制度」をはめ込んだ。
「プロフィットセンター経営」という方法で、事業体ごとに大きく権限を持たせることでパフォーマンスを最大化させ、「社員持ち株会制度」を用意し、創業オーナーよりも社員の持ち株比率を高め、パフォーマンスの果実分配を制度として用意。強力な事業推進を仕組みで実現していった。
そして、この仕組みを成り立たせるための2つの条件。徹底的に優秀な人財を採用し続けること。そして失敗に寛容なこと。
言うは易し。
経営者としてこのような”独自”の枠組みをつくり、”徹底”して回し続けることがどれだけできるだろうか。凄まじい摩耗を繰り返すことで、ようやく独自の文化がうまれていく。
一、 透明で中立的な開かれた経営でつねにあること。
一、 社員持株会をつねに筆頭株主とし「社員皆経営者主義」を貫くこと。
一、 つねに組織 の新陳代謝に努め、若いエネルギーに満ちた組織であり続けること。
一、 新規事業に果敢に取り組み、だれも手がけぬ事業をやる誇りをもち続けること。
一、 つねに高い目標に挑戦し、その過程で個人と組織のもつ能力の最大化をめざすこと。
一、 徹底した顧客志向により、得意先の満足を最大化すること。
一、 個人を尊重し、社内はいっさいの肩書、学歴、年齢、性別から自由であること。
引用:同書第一六章 リクルートイズム
これは、江副氏がリクルートを去ることが決まったとき、30代の組織責任者たち12名が集まって定めたリクルートが守るべき7つの経営方針だという。
江副氏でもなく、役員でもなく、だ。
逆にその案が役員に通らなかったときのために、彼らは全員辞表を用意していたともいう。
この時点で、皮肉にも江副氏が創り上げた強い文化がしっかり出来上がっている。
「三流は金を残し、二流は名を残し、一流は人を残す」という経営者に好まれるフレーズがある。
江副氏はどうだろうか。
創業して50年以上経つにも関わらず、フレッシュで力強い企業として今なお成長し続けるリクルート。彼が残したのは、やはり人だけではないと思う。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
文化とは共通の価値観であり、枠組みを用意しただけでは形成されない。その中で生身が摩擦しあい、独自の温度と匂いが充満した状態。その独自の気体を吸わないと生きていけない体。
リクルートは現在に至るまで、江副氏が創り上げた独自の文化を維持するために懸命なアップデートを重ねてきたのだろう。
本書のおわりに、2013年に執り行われた江副氏のお別れの会にて挨拶をした現代表峰岸氏の言葉が記されている。その言葉に触れたとき、つくづくリクルート文化の凄みに震え、経営者としての嫉妬さえ感じた。
やはり、読み返すと思う。