「なんだ、これは?」
読書には大きくふたつの“型”があると思っている。ひとつは情報収集手段としての型。仕事上、あるいはプライベートなどで役立つ情報として収集しておきたいこと、知っておくべきことについての情報欲求を満たすための読書。
もうひとつは、これは偶然である場合が多いが、思いがけない知見や視点が得られる読書。頭の中がリセットされるような感覚をともなった、知的体験としての読書だ。
情報欲求を満たすなら、書評を読んで内容や評判を把握し、売れ行きなども調べ、「間違いない」と思った電子書籍をネットで購入して読書アプリでサクっと読めばいい。得たい知識を効率的に、確実に得ることができる。
知的体験としての読書はそういうわけにはいかない。まずもって“実体”が必要だ。手にもってずしっとくるリアルな重量感、ページを手繰るときの紙と紙がこすれあう乾燥した摩擦音、触発された想いをすぐにメモできる余白。心が揺さぶられる一節にめぐりあったら、パタリと本を閉じ、しばし目を瞑(つぶ)って好き勝手な“迷想”に耽(ふけ)る。そんな型が必要だ。
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読書アプリで読み進むうちにじっくりとその本と向き合いたくなり、書店で買い直した経験がある人もいるのでは?
知的体験としての読書をしたくなったとき、私は書店という本の森の迷路に入り込む。気ままに徘徊しながら装丁やタイトルなどの佇まいが混然一体となって発する “本のオーラ”を頼りに、偶然の出会いを探し求める。
――海が経済、政治、文化、産業、イノベーション等の源である!
書店員が書いたこんなポップ広告の文句が『海の歴史』と私を偶然の出会いに導いた。「なんだ、これは?」と思った。著者のジャック・アタリがEUに多大な影響力をもつフランスの“知の巨人”であることは後日に知った。
世界を制す者とは…
この、400頁におよぶジャック・アタリの最新作は、経営者の間でも熱心に読まれた(そして多くの読者に完読を挫折させた)『サピエンス全史』に登場したことで広く知られるようになったヒトの祖先、ホモ・エレクトスが誕生した先史時代にさかのぼる。
本の結論をひとことで言うと「いつだって、海を制する者が世界を制す」だ。生命の原点をたどり、人類の発展や争いの系譜、政治・経済・文化・科学の発達など、あらゆるヒトの営為は、過去においても未来においても、海という存在と切り離せない関係にあることを解き明かす。
確かに、原始的な航海術を手にしたことで人類は急速に世界中に広がったという。グローバル化の原点である東洋と西洋を結んだシルクロードの交易も、ラクダのキャラバンがゆったり歩みを進めた陸上ルートではなく、貿易風をマストにはらんだ商船が波の上を疾走する海上ルートがメインだった、という説もある。
海はまた、生命維持の基盤でもある。石油が噴き上がる中東の砂漠は、もとをただせば海底だった。レアメタルやメタンハイドレードなど海底資源の埋蔵量は無尽蔵、と言われる。中国や欧米などの肉食文化圏は、いま急速に“魚食文化圏”へとシフトしつつもある。人口爆発で懸念されるエネルギー問題や食糧問題を解決する糸口も、海にあるのかもしれない。
一方で、産業革命以降、人間の科学的野心は「ジャックと豆の木」のように上へ上へと伸びていったように感じる。ライト兄弟が木材と布で組み上げた飛行機を飛ばしてから、わずか60年後にガガーリンが有人宇宙飛行に成功。ほどなくして人類は月に到達した。いまや人類は火星を縦横に探査し、国際宇宙ステーションという人間が常駐する巨大構造物が、365日24時間、地球の周回軌道を回り続けている。
こんな“空の歴史”を振り返ると、人類の競争の場は狭い地球を飛び出し、宇宙を制する者が未来の世界を制すのではないか。そんなことを思っていた。
だが『海の歴史』は虚空をボンヤリ見上げていた目線を大海原の水平線へと押し下げる。人・モノ・マネーのグローバル化が進めば進むほど、人類にとってますます海は絶対的存在になることを提示する。
美しき矛盾
経営者という立場から、心に残った一節がある。
――海が要求する資質は一見すると矛盾して見える 。すなわち 、手順に従いながらも大胆に振る舞い 、柔軟に対応しながらも訓練通りに行動し 、自律的でありながらも仲間と協力するという資質である 。実際に 、そのような資質こそ個人の自由というイデオロギーを生み出すのである 。(第8章「自由を追求する学習の場としての海」より引用)
なるほど、海は試練を乗り越えた者に多大な恵みを、乗り越えられなかった者には絶望しか与えない激しく矛盾した存在だ。自由と規律、大胆と細心、斬新なアイデアと強固なルールといった、相容れないはずの二律背反を統合できた者だけが制御できる場だ。
経営者の究極の姿とは、自ら矛盾をはらんだ存在ではないか。会社という船をまだ見ぬ新大陸に導く船長には、針路を見極める冷静さと血気盛んな冒険心が必要だ。規律に厳格な自由人であり、大胆な臆病者。そんな矛盾した人格を同居させることができれば、経営者としての成功をたぐり寄せられるのかもしれない。どうすれば、そんな矛盾を統合できるのだろうか…。
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商業ベースの宇宙旅行ビジネスが始まったように、宇宙は急速に身近な存在になりつつある。無限の宇宙空間へと伸びた人類のイノベーションは、おカネさえ払えばスリルと興奮と感動を味わえるエンタテインメント空間に宇宙を変革しつつある。
私には宇宙旅行に出かけられるような余裕などないけれど、機会があれば行ってみたい。ガガーリンが天空の“神の視点”から観察し、ため息をもらした青い地球。海という矛盾で満たされた、美しき青き水の惑星の姿を目に焼き付けるために。