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心の奥底から絞り出した「108の理念」

~長蛇の行列をつくりだす「一蘭」の濃厚な理念経営【前編】~

株式会社一蘭 代表取締役 吉冨 学(よしとみ まなぶ)

INOUZTimes編集部
心の奥底から絞り出した「108の理念」

PHOTO:INOUZ Times

いま、国内はもちろん、アジア、アメリカ、ヨーロッパなど、世界各所でブームを起こしている日本人の国民食があります。そう、ラーメンです。なかでも、訪日旅行者の多くが詰めかけるラーメン店があります。「味集中システム」など独自の接客サービスを提供する「一蘭」です。同社の組織形態はちょっと変わっていて、約5,600人の社長以外の従業員は全員、肩書・役職なしという極端なカタチ。「肩書は“身を滅ぼす欲”の象徴のひとつ。私も本当は社長と名乗りたくないんです」。同社創業者で代表取締役を務める吉冨さんはそう話します。そこには「一蘭ブーム」を国内外で巻き起こす原動力となった同社独自の理念が込められているそうです。前編では濃厚で少しホロ苦い、一蘭の「理念誕生の原点」を聞きました。

人生なんて何も考えていなかった

―最初に、一蘭の創業の経緯を聞かせてくれますか。

父が癌になって、闘病生活を開始したことです。大学1年生のときでした。それで、自分で学費を稼ぐため、食堂でアルバイトを始めました。

そのバイトで幸運だったことがいくつかあって、まず大将の腕が良かったんです。そのうえ大将がギャンブル好き。パチンコや競艇に行ったら店に帰ってこないんです(笑)。

パチンコに行ったら帰ってこないので、大将に「お客さん来るのにもったいないですよ。大将が帰ってこないなら、僕が調理しましょうか? 教えてください」と、全部レシピを教えてもらいました。

いろんなメニューがあった“なんでも食堂”だったので、てんぷら、から揚げ、ラーメン、ちゃんぽん。バイト時代に大抵の料理はつくれるようになりました。

もうひとつ運が良かったのは、その店のオープンから携わったこと。小さな街の食堂でしたけど、「オープンはこんなことをするのか」ということも経験できました。レシピ、オープンのノウハウは、その後、一蘭を起業する際に、とっても役立ちました。

さらに、貴重な経験もさせてもらいました。なんでもある“なんでも食堂”だった替わりに名物料理のなかったことが災いし、経営がうまくいかず潰れちゃったんです。

「商売というのは、なんでもかんでもしちゃいけないな」「専門性をもたないとダメなんだな」ということを学ばせてもらいました。

―そのバイト経験で起業したいという気持ちが芽生えたんですか。

私を起業に導いてくれたのは、父と最後に交わした言葉でした。大学に入った翌年に父は亡くなってしまうのですが、最後の最後に「お前は商売人に向いている。商売をしろ」と言ってくれたんです。

それまで、起業とか商売をしたいとか、まったく思ってもいませんでした。人生なんて、何も考えていなかったんです。

もともと、あまり多くを語る父ではありませんでした。ただのサラリーマンで、家でなにか商売をしていたわけでもありません。そんな父がなぜ私に「商売人に向いている」と言ったのか。

いまだにわからないんですけど、財産らしいものは何も残せないので、せめて私に「自信」という大きな宝物を最後に残そうとしてくれたんじゃないかな。今になって考えると、そう感じます。

その父の言葉を道標にするかのように、大学を卒業すると、すぐに起業しました。最初はファミコン販売、その次に人材派遣の会社を興しました。いずれも個人事業規模の小さな会社です。

そしてラーメン店をやっていた老夫婦と出会い、その店の暖簾を引き継ぐことになりました。それが一蘭の第1号店です。

「一蘭」の第1号店
PHOTO: 株式会社一蘭

30人の部下の裏切りと京都彷徨

―暖簾を引き継いだ経緯を聞かせてください。

派遣会社を始めたものの、ほとんど生活ができませんでした。「ホカ弁」を買っている人がうらやましかったですね。

屈折7年ほどして、ようやく、「広告をまかないとお客さんは来ないんじゃないか」と気づいて、軍手をはめてバケツにノリを溶いて、夜中に街中の電柱にチラシを貼って回りました。今はダメですけど、昔は黙認されていましたから。

そうしたら、1件、2件と電話がかかってくるようになったんです。それで、どうにか「ホカ弁」も買えるようになって、月に1回くらいは外食ができるようになりました。

外食といっても、うどん、ラーメンですけどね。それで老夫婦がやっていた小さなラーメン屋さんにたまに行くようになり、何年か通っていたら、「ウチは跡取りがいないけど、屋号だけでも後世に残したい。お金はいらないから引き継いでくれないか」という申し出があったんです。

―でも、人材派遣会社をようやく軌道に乗せることができた頃ですよね。丁重にお断りするのがフツーかな、と思います。

そうですよね。でも、どうにか派遣会社で生活できるようになったのですけれど、派遣会社って一生、下請けじゃないですか。

だけど、ラーメンだったら学生時代のバイトで大将に教えてもらった“味”を持っている。そこに起業して商売した経験を活かした独自性やアイデアを打ち出せば世に出て行ける、勝負できる。

そんな想いから老夫婦の申し出を受けて、ラーメン屋の道を歩むことにしたんです。退路を断って勝負するため、派遣会社は今までついてきてくれた部下に無償で譲りました。

ついたてで客席を仕切る「味集中システム」、自分好みのラーメンを注文できる「オーダーシステム」、替玉を注文するとチャルメラが鳴る「替玉システム」。

いま一蘭で提供している独自のシステムは、起業直後から導入しました。こうした業界初の試みが好評を呼んで福岡市内での多店舗展開も成功。短期間で本社スタッフと店舗スタッフを合わせて60~70人の規模に成長させることができました。

―お父様の言葉どおり、商売人としての才能があったんですね。

それは、どうでしょうね。なにしろ、すぐに大きな落とし穴に落ちることになりましたから…。

当時の私は「おいしいラーメンをつくろう」という一点だけは徹底したものの、それ以外は「金儲けしてビッグになりたい」とか「フェラーリに乗ってやろう」とか、そんなことしか考えていませんでした。

そうした僕を待っていたのは、信頼していた部下たちの裏切り。当時の専務が30人の社員を引き連れて、突然、辞めていったんです。賞与を払った翌日のことでした。

まさか、ですよ。社員には充分すぎる給料を払っていました。苦しかった。本当に苦しかった。そして、死を覚悟しました。家族に遺書を残し、新幹線に乗って京都に向かいました。

私の尊敬する叔父が京都出身だったこともあったのかもわかりませんが、なぜか知らないけど「京都で死のう」。そう思いました。

不思議なことに、死を覚悟した私の視覚からは色がなくなりました。季節は秋。夏から秋に移ろうモノクロの京都をあてもなく、さまよいました。

「夏から秋に移ろうモノクロの京都をさまよいました」(嵐山の竹林)
PHOTO:写真AC

「一文無し」からやり直し

―壮絶な体験ですね。

でも、博多の田舎者がよく知らない京都に行っても死に場所なんて見つかるはずがありません。すっかりくたびれ果てて、ふと腰かけたその隣におじいさんとおばあさんがいらっしゃって、おじいさんがおいしそうにビールを召し上がっていました。

おじいさんはちょっと耳が遠いみたいで、おばあさんと大きな声で「明日からは原点に戻って、昔の銘柄に戻そう」。そんなことを話していました。その「原点」という言葉が、僕の心にぼーんと突き刺さりました。

―なぜ、そんな他愛もないやりとりが響いたんですか。

おじいさんとおばあさんの会話を咀嚼すると、おじいさんは以前は違う銘柄のビールを飲んでいた、今飲んでいるのはそれとは違う銘柄のビール。それを明日から最初に飲んでいた銘柄に戻そうと。そんな会話でした。

当時はその銘柄が発売された頃で、みんなそのビールを飲むようになっていました。私の父もそのひとりでした。でも、おじいさんは「流行のものではなく、原点に戻そう」。そう、おっしゃった。

そのおじいさんの言葉と、同じ銘柄のビールを飲んでいた父の姿が私の心の中で重なって、「これは天国の父が私に『死ぬな』と言っているんだ」。そう感じたんです。

「死ぬな。原点に戻ればいいじゃないか。もう一回、原点に戻れ」。私には父がそう言ってるように聞こえたんです。

私の原点とは貧乏学生の一文無し。そんな原点に帰って、そこからやり直せばいいんだ。そう思ったら、すぐに新幹線に飛び乗って、博多に戻りました。

帰りの車中、「自分は何を間違っていたのか」「商売とは何か」。そんなことをずっと考え、「死ににきたのに死ななかった。だから今度は死ぬ気で勉強しよう」と心に誓いました。

それからはお風呂でもトイレでもエレベーターでも、休日に家族サービスでジェットコースターに乗る列に並んでいる時でも勉強しました。わずかな時間すら、漫然と並んでいるのはもったいなかったんです。

「人の心」と向き合う

―どんな勉強をしたんですか。

「人の心って何なのかな」ということです。昨日まで「社長、社長」と言っていた部下たちが一晩経ったら辞めていく。私も死のうと思ったけど、生きる道を選んだ。これって、すべて心の作用だと思うんです。

それで、私は無宗教なんですけど、宗教から心理学から、人の心について書かれている本を読み漁りました。

行き着いたのは、商売をする上で、そして大げさに言うと生きる上でもっとも大切なのは「おのれの心をコントロールし、他人の心を大切にすることなんじゃないか」「そのためには理念の確立が不可欠なんじゃないか」ということでした。

当時の会社には理念とは言えるようなものはなにもありませんでした。では、どんな理念を策定すべきか。これは社長である私が心の底から湧き上がってきた言葉を明文化したものにしなければいけないと思いました。

理念の最初は「従業員の心を大切にして、人間性を高めましょう。成長しましょう」といった意味の言葉にしました。現在、理念は108つあり、全部で7章にわかれています。

自分の心をコントロールする方法、他人の心を大切にする方法、人とうまくコミュニケーションをとる方法など、商売に関することは1節くらいで、あとは全部、心について書いています。

―どのようにして理念浸透を図っているんですか。

まず入社すると、最初に礼儀作法や「人の生きる道とは」「人間性とは」といったことについて、ずっと教えていきます。

アルバイトスタッフも同様に、最初に理念を説明し、「これに共感してくれるのなら一緒に働いてください」とお話しします。

理念の内容は誰にでもわかりやすく、納得感のあるものしかありません。変な事は書いていないのですよ。私は、従業員の心を洗脳して、だますようにして一蘭のために働かせようなんて、まったく思っていません。

家族にも役に立つ、自分の子どもにも役に立つ、自分の生き方に絶対にためになることしか書いていません。誰もが共感できる内容にしていることも、理念浸透が図れている大きな理由のひとつだと思います。当社の理念が嫌だという人は、もはや悪人レベルだと思いますよ(笑)。

(後編に続く)

吉冨 学(よしとみ まなぶ)

株式会社一蘭 代表取締役

1964年福岡県北九州市生まれ。大学2年生で、ファミコン販売業、人材派遣業を個人で起業。1993年に有限会社一蘭(現・株式会社一蘭)を設立。ラーメン事業に専念するため、派遣事業を部下に譲る。2007年、ニューヨークに現地法人ICHIRAN U.S.A., INC.を設立。一蘭の2016年12月期の売上高は174億円、68店舗(2017年5月時点)、社員数319名(2017年5月時点)、アルバイト数5,257名(同)。香港、ニューヨークに進出を果たしたほか、2017年夏には台北に出店予定。

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